時代の目標への共感:卒業式のスピーチから感じるもの

アメリカの大学の卒業式では、卒業生への祝辞として今後の人生について語る役割が社会人に与えられる。

亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残している。中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」のフレーズはあまりにも有名である。

https://www.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ

 

 

マーク・ザッカーバーグハーバード大で「人生に目的が必要なわけ」そして、「自身の目的を持つだけでは不十分、他者のために目的意識を生まなければなりません」と語った。

https://www.youtube.com/watch?v=nFaCasVBvD8

www.youtube.com

他者と共有する目的をマーク・ザッカーバーグ「世代の課題」と評し、共有する目的も時代によって変化することを強調している。

 「いったい何がしたいのか自分でもわからない」。それでも全然構わない。なんとなく興味が持てることをしよう。とりあえずお金になりそうなことをしよう。そして、その仕事に全力を尽くそう。全力で取り組んでいれば、スキルが自然と身についてくる。それは小さな成長かもしれないが、仕事に取り組むモチベーションになるだろう。

やればやるほど、スキルは上がる。そして気がつけば、誰も真似できない高度な専門性が身についているだろう。そしていつしか気付く。好きなことを仕事にしたのではなく、仕事を好きになるまで育て上げたのだということに。

時代の目標は遅れて認識されるかもしれない。最初に目標を認識できる人間は、「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」として全力で取り組む、変人扱いされる・社会から容認されにくい部分もあるが、自分で「とりあえずお金になる」(最低限、他者に作業目的・内容を説明できる)ことを確認しておこう。

介護作業の合理化

介護士の作業が被介護者の家族などが十分見えてこない・十分見せるためには付随する作業が大きいなどの状況がある気がする。

介護士の作業は被介護者をトイレ・風呂に連れていったり、夜中に3時間ごとに安否確認したり、 朝の体温チェック 、食事状況確認などだ。これを自宅介護で行おうとすると介護者の個人的負担は過度すぎる。

介護人は、対応被介護人・実施場所・実施作業項目はほとんどルーチンな場合が多いものの、時には個別の対応が重要なことも多いのは当然でしょう。自宅では共同実施者が得られずルーチン作業が難しい。

施設でのルーチン作業については、介護人が各介護情報を共有しながら適宜実施するものでしょう。作業時に人・場所・作業などをコード化しQRコードで読み込ませ、確認状況も星の数などで規格化し、体温などの数値と必要な場合のコメントのみ入力してもらえば済ませればいいように感じた。現在短文などをスマホ入力で行うことが多い状況では、介護士が作業しながら行える環境は、作業の合理化につながると感じたところである。

母親の居た介護施設では、介護士は介護メモを自分でメモ帳やスマホに記載し、食事をしながらの自由時間などに、PCや取り纏め書類などに記載している状況が見受けられた。

 現場の報告事項の作成は短時間で済み、管理者は問題点のみまた被介護者の家族との会合時などには被介護者で検索し、介護士の行った作業を確認できるなど、情報収集の合理化を推し進めるべきであろう。

施設での情報の共有化で検索すると「介護記録に、何をどう記載したら良いか悩んだら「5W1H」の流れに従い、文章を組み立てるようにしましょう」と記載されている。この作業の「5W1H」をできるだけQRコードなどで規格化したものを活用していければ合理化が大きく前進する。

具体的な情報を確認すると以下のような提案がある。連携して進めていくことを期待したい。

多くのケアサービス利用者は、複数のケアサービス(訪問介護通所介護など)を利用していますが、これまでのシステムでは、記録はバラバラでした。ケアコラボは、さまざまなサービスの記録を、タイムラインで統合して表示します。サービス単位の記録ではなく、ケアサービスを利用する「人」が中心のシステムです。ほかのケアスタッフや利用者の家族からのコメントや「いいね!」などのレスポンス機能もあり、みんなでささえるケアの実現をサポートします。

page.carecollabo.jp

 

 

 

介護保険からの支出:在宅介護・施設介護

母親は、身体が衰えてきてから適宜介護保健を利用していた。経過は以下に整理している。

http://kichichan.hatenablog.com/entry/2017/09/26/213915

介護保険の利用状況については妹に任せっきりであった。介護支出について適宜連絡が来ていたが、必ずしも連続した資料ではなく実感も伴わなかった。平成14年80歳の時に介護認定を受けたが、実際の利用は主にデイサービスであった。その後平成19年の肺炎入院その後の老健でのリハビリ、さらには自宅介護、徐々に圧迫骨折での痛みの増加に伴い平成20年からヘルパー支援・在宅介護、平成24年に肺炎入院、その後の施設介護を中心にした生活が始まり最後に施設での看取り介護を迎えた。

家に残された資料から確認できた年については介護サービス費の月平均としてグラフ化してみた。亡くなる前の4年間は、特別養護老人ホームを利用した施設生活この間、介護度が3から4、最後は5に上昇した。最後の2年間で大きく費用が増加したのは、介護保険・負担限度額認定に預貯金の判定が加わったためであろう。初年度に預貯金総額が、次年度にさらに非課税所得である遺族年金も認定要件に加えられた。確かに被介護者本人の預貯金や所得総額が介護保健支出金額に反映されるのは、必ずしも潤沢ではない介護保健にとって妥当な立場であろう。

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一方平成23年までの自宅介護状況ではヘルパーによる生活支援を加えたものの当然のことながら介護保険利用料が抑制されている。本人もできるだけ自由が確保されるという意味で在宅介護環境の整備が重要であった気がする。

介護を社会化し個人的な負担の解消

今後介護は団塊の世代が80歳を迎えたとき、その子供たちが50歳で社会の中核となっている。したがって、個人が抱え込むことになると、社会への影響が大きいことが指摘されている。実際、母親の介護については、精神的・時間的に負担が多かった気がする。介護休暇制度ができた時、被介護者が亡くなるまで負担が多くなれ減ることがない介護についての休暇の意義について疑問を感じていた。しかし以下の本を読んで認識を改めた。

日本の人事を科学する 因果推論に基づくデータ活用

すなわち、介護休暇は介護に専念するための制度ではなく、仕事と介護の両立のための準備を行う制度と捉えるべきであると強調していた。親の介護認定の取得、同居などに備えた段差解消などのための住宅改修、介護認定後にケアマネージャの選定・介護計画の策定などを行い、介護者が介護環境を整備する期間であると説明していた。介護保険制度によって介護と勤務が両立することを支援する仕組みであることを初めて認識した。介護作業に必要な資金も具体的には被介護者が支出すべきであり、その準備が整っているか具体的に確認すべきである。

同書に、要介護者認定数(厚生労働省介護保険事業状況報告」)および要支援・要介護者/被保険者比率(「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳に基づく)が記載されていた。男女年齢別の介護認定者割合からは、80歳以上の要介護者の増加また90歳以上の女性の要介護者多さが顕著であることが示されている。すなわち80歳以上になると女の方が若干の障害を負いながら長く生きていくということかもしれない。80才から徐々に介護度が進行した母親の例は特別なものではことが理解できた。

年齢幅/要支援・要介護者/被保険者比率% 男(女)
年齢幅/比率% 男(女)
65-69/03.6 (03.4)
70-74/07.2 (06.4)
75-79/12.7 (14.7)
80-84/27.6 (30.1)
85-89/43.7 (52.4)
90-    /54.7 (72.5)

出典:厚生労働省介護保険事業状況報告」要介護者認定数および「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳

ちなみに近所に暮らす92歳の高齢者は娘さんと二人暮しだ。昼間仕事に出ている娘さんは、父親に介護認定を受けるように勧めも拒否しているそうだ。時々姿をもかけるが、腰が曲がってしまっているものの一人でゆっくりした足取りで歩いている。同年齢の半数弱の人が介護認定を受けずに暮らしているので、そのまま元気に暮してほしいものだ。一方万一介護が必要になった時には介助責任者は介護休暇で対応することになるが、十分な情報の提供など受ける側を含め理解が重要だと感じた。

母親の今までの生活_70歳以降の衰え

母親は、父親が亡くなった74歳から96歳までの22年間一人で暮らしたことになる。仕事がら、海外勤務・海外出張も多かったが、国内では同居、また最後に近隣の介護施設に入っていた略5年半の期間もしばしば施設を訪れ、帰ってこられる家の管理を行っていたからであろう。また両親の老後を考慮した自宅の新築に当たっては、老後を両親の問題としてとらえこちらは主に支援する立場を取ったため、母親に面と向かうことがなかったことかもしれない。一方新築の自宅完成後1年未満で父親が亡くなった。自宅を新築した後の母親の健康状況を以下に確認した。

母親は自営業で生計をたてていたが、50歳以降山登りなどに精を出し自他共に健康を楽しんでいた。しかしさすがに80歳近くになると急激に体に変調をきたしていくことがよく理解できる。最初に寝込んだのは、79歳の時下顎を骨折した時だった。玄関のチャイムが鳴って急いで出る時に躓き、手が出ずに顎を打ったそうだ。年相応にチャイムに落ち着いて対応していいんだという考え方にシフトしてなかったような気がする。チャイム自体が自宅新築時の73歳で初めて設置したもので運用に慣れていなかった可能性もある。

 

1994(H06)/11:73才:自宅新築・高齢化対応(長男と同居)
1995(H07)/01:73才:(神戸震災)
1995(H07)/10:74才:夫死亡
1998(H10)/07:77才:富士登山
2000(H12)/03:79才:海外個人旅行・9月にも有
2000(H12)/11:79才:下あご躓き骨折
2001(H13)/06:80才:右目白内障手術
2001(H13)/11:80才:自宅単身生活開始(長男:国外出張)
2002(H14)/01:80才:脊髄圧迫骨折、介護保険認定/要支援・利用開始
2002(H14)/03:81才:デイサービス利用開始
2003(H15)/02:82才:介護保険認定/要介護1
2003(H15)/03:82才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2003(H15)/08:82才:左目白内障手術
2005(H17)/11:84才:自宅単身生活再開(長男:国外出張)
2007(H19)/03:86才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2007(H19)/08:86才:肺炎入院
2007(H19)/10:86才:介護保険認定/要介護3 老健利用リハビリ生活開始(6か月)
2008(H20)/04:87才:介護保険認定/要介護2 自宅トイレ改修・介護ベッド動線上に引き戸設置
2008(H20)/05:87才:自宅介護生活開始/車椅子利用(4年)、デイサービス利用再開、在宅生活支援サービス利用開始、介護ベッドなど借用開始
2009(H21)/11:88才:右目白内障再手術
2011(H23)/03:90才:(東北震災)
2012(H24)/04:91才:肺炎入院 介護保険認定/要介護3
2012(H24)/05:91才:ショートステイ利用介護生活開始(4か月)
2012(H24)/09:91才:老健利用介護生活開始(1年)
2013(H25)/09:92才:特養利用介護生活開始(4年)
2015(H27)/04:94才:介護保険認定/要介護4
2017(H27)/04:96才:介護保険認定/要介護5
2017(H29)/05:96才:死亡

 

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 ところで、81歳で要支援・82歳から要介護1となり95歳で要介護5で亡くなったことを、一般的に平均健康寿命(男性71.19歳、女性74.21歳)・平均寿命(男性80.98歳、女性87.14歳)から計算できる女性の平均介護対象期間:12.93年を参考にすれば、健康だった期間は長いが、被介護期間15年と苦労した期間も多い。

一方、特養利用の介護生活4年は、厚生労働省資料の介護老人福祉施設の入所者の平均在所期間約4年と同じである。これは介護期間の多くを自宅で過ごせ幸せだったと考えるべきかもしれない。

 

自宅の整理

母親が残していったものが、家には数多く残されている。

両親の老後生活に向けて1994年12月、母親73歳・父親76歳の時に自宅を新築した。当時父親は脳溢血後の若干不自由な体に加え、前年にはアキレス腱も切断・トイレに行くことにも不自由を感じていた。断熱性能・バリヤーフリー化などに配慮した設計しと、父親の行動も若干拡大することを期待していた。しかし残念ながら新築の家に1年も暮らすことのない翌1995年10月に父親は旅先で心筋梗塞で急死、77歳であった。ちなみに当時の平均寿命は男76歳・女82歳、健康寿命は男69歳・女70歳、父親死亡時年齢での男の平均余命は9.8年である。既に数年前の脳梗塞で若干身体が不自由であった父親にとっては自分では気づかなかったかもしれないが引っ越しは負担が多かったかもしれない。平均寿命・健康寿命は越えているものも平均余命もまだある年齢で、葬式には父親・母親の友人が多く参会し、ともに偲んでいたような気がする。

一方母親はその後元気に暮らしていたが、80歳ごろから圧迫骨折を繰り返し、86歳になると自宅での車椅子生活、91歳からは施設での療養生活を余儀なくされ96歳で亡くなった。死亡時年齢での女の平均余命は5年である。僅かに残っていた友人・同世代の身内も色々な意味で身体的な障害を有し、葬式に参会できる状況ではなかった。母親が健康寿命を越えた73歳から80歳ごろまで自宅で元気に暮らせた、またその後の自宅での車椅子生活を支えたのも新築した自宅の貢献は大きかったと感じられる。

自宅新築時の期間中、近くの解体予定の古家を借りることができた。旧家屋の解体前に、荷物を適宜リヤカーで借りた古家に、また新築後には借りた古家から適宜荷物を持ち込んだ。また別に近所の家の納戸を借用、また別の家の庭に植木を一時仮置きなどの柔軟な対応を行った。そのため時間的には余裕のある引っ越し作業ができた。

引っ越し時も含め自宅の物品は活用できたものの、十分な整理はできなかった。父親の亡くなった時の遺品・遺産は、原則新築の家に暮らす母親が引継ぎ整理するという考え方であった。今回母親が亡くなって改めて兄妹が整理することになった。遺品・遺産の概要は理解していたが、実際に目にしてみると、自分たちの物品の整理を含め気を引き締めてかかる必要があると感じた。

自宅新築時の基本的な考え方は、今後ますます進む両親の老齢化・また利用状況の変動などを前提とし、完成体ではなく状況に応じて適宜手を加えていこうとするものであった。そのため2階の部屋の一部を壁内装、床張りなど未実施で暫定作業部屋として活用することにした。またカーテンなども古いカーテンの活用、適宜購入などを考えていた。このため新築時での物品の整理が遅れた部分も多い。

母親の死

介護施設で暮らしていた母親が、2017年5月中旬・96歳で亡くなった。

2015年の夏を迎える前に、母の体の衰弱が顕著となった。その為、施設対応の医師在席のもと、介護施設の各担当者と、もしもの場合には施設での看取りを希望するかそれとも病院での延命処置を行うかを検討した。

母親は今まで十分努力して生きてきたということを家族が納得しているという前提で、施設での看取りを希望する旨既に関係者で確認してあった。話題の中で機会を見て自宅に帰るなら支援できる旨、施設から提案を受けた。その後暑くなる夏に向けて受け入れ準備も想定できないままだったが、夏を過ごし母親の体調もそれなりに安定している状態が続いた。冬も終わり暖かくなった2016年の5月連休明けの土曜日に、検討していた自宅で軽い昼食と休息をとることが出来た。

施設に入居した当時から、母の気分転換を兼ね、しばしば車いすで外出・散歩をしていた。30分から一時間の散歩コースだった。

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母も楽しみにしていた散歩だが、亡くなった年の正月明けからは、寒い日・風がある日などが重なって、散歩ができないことも多くなった。骨粗鬆症の痛みの続く状況では、介護ベッドと車椅子との移動頻度をできるだけ少なくするように、車椅子に乗った食事の前後に散歩を設定していた。散歩ができないということで、限られた訪問した時間では、弁当などを用意し夕食を中心に個室で一緒に取ることにした。

2017年も真夏の暑さが訪れる前に機会を見て自宅に迎い入れたいと考えていた。一方衰弱も続き、5月の最後の夕食となった日は、かなり衰弱している様子だった。

介護ベッドから車椅子への移動は、通常家族が自力で本人を引き上げて行っていた。しかし当日は身体がぐったりしており慣れている介護士に依頼した。車椅子に立ち上がった時、口から長い痰が流れ出る様子を確認し介護士に指摘した。自室で一緒に食べさせた後休憩しその後の対応を介護士に依頼し帰宅した。翌日は熱があり施設側で病院に連れていき、肺炎(誤嚥性ではない)を確認し、点滴したそうだ。その後引き続き施設での肺炎対応の点滴を4日間続けて行い、点滴を外したのち2日後に亡くなった。

施設での看取りについては十分納得できていたが、最後にもう一度自宅に落ち着いて過ごさせてあげたいという思いもあった。施設から自宅に戻し、葬儀・火葬・納骨などが続いた。その後の自宅の片付けなどを含めこの場で確認していきたいと思っている。