骨すべり症の確認とリハビリ体制

2010年当時、勤務先まで歩いていくとき間歇歩行に悩まされていた時期があった。間歇歩行の症状が顕著に表れ始めたのは、歩くことも含めて運動を制限せざるを得なかった2006年当時であった。2006年(平成18年)11月7日にX線画像を取った結果からは、第4腰椎が前方に滑っていることがわかった。その後徐々に散歩を増やしてどうにか普通に歩けるようになったが、さらに時間的に余裕があるときには通勤時の取り換えを省略し勤務先までのほぼ3kmの道のりを時々立ち止まることを繰り返しながら歩くことに努力した。2013年に体重が急に減少したが、この成果かもしれない。その後2014年6月で退職、勤務先に行く機会が無くなった一方、時間が自由になったこともあり様々な形でのリハビリテーションに努めたいと考えた。

旧来から野外活動が好きであったため、学生時代には気分転換・運動も兼ね、登山やカヌーの体験があった。また最初に勤務した当時自転車に興味を持ち、一日200km程度乗ったこともあった。この機会にとりあえずもう少し親しんでみようと考えた。

登山については、より一層の安全確認を充実させる意味で2014年8月にGPSを購入した。2016年10月からヤマレコに登山記録を掲載し、記録の充実が楽しみになった。

カヌーについては、2016年9月にカヌー教室に参加、かなり興味が惹かれたので翌2017年には通年参加を予定した。2回ほど参加したが、ある程度以上のレベルになると自分の体形に合った大きさ・運ぶ自動車などが欲しくなったのでとりあえず中止している。

自転車については、2016年3月末に、輪行しまなみ海道を自転車で走ってみた。久しぶりにパンク修理を体験した。その後、30km内外の短距離利用を重ねている。

新規に興味を惹かれたのは乗馬だ。2016年1月11日たまたま無料体験キャンペーンで乗馬を行い終了時には腰周辺が軽くなったように感じたものだった。とりあえず情報を収集してみた。馬の役割には長い歴史があり、現在残っている馬の文化は調教も含め地域によって異なっていることを理解した。体験した乗馬はいわゆるイングリッシュ・スタイルといわれるもので、単純に野外行動に惹かれていたこともあり、ウェスタン・スタイルの乗馬クラブを6月に訪れた。さらに翌1917年春には旧来の日本の馬術という意味で木曽馬の調教と流鏑馬教室を開いている乗馬クラブを訪問した。また夏には今でも馬が生活の一部になっている内モンゴルの2週間ツアーに参加した。アクセスしにくいのが欠点だ。

ヤマレコへの登山記録の掲載は2018年には42回(月平均3.3回)に達したが、とりあえず今年は月4回を目指してみたいと考えている。

参考のために、いままで記録していた体重の変化を確認してみよう。2013年に急に減少した体重が再び増加、一方従来の間歇歩行が2014年頃から見られなくなり坐骨神経痛も気にならなくなっていたが、2019年頃から登山開始時に右脚付け根に痛みを感じることが多くなった。間歇歩行からの回復は体重が軽くなったことが理由の一端かもしれない。

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BMIで適正体重を確認してみよう。BMIは、18.5未満(低体重)・18.5〜25(普通)・25以上(肥満)とされ、22が最も理想的とされている。以下は、身長と体重を同時に測定したときの値だ。最近徐々に肥満に向かっているのでもうちょっと下げることに努力したい。

 

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背骨が関係しているという意味で、2006年(平成18年)11月7日の背骨のX線画像を示した。第4腰椎が前方・左側に滑っていることがよくわかる。

2017年夏にモンゴル乗馬ツアーに参加した。6日目には速足時の馬の上で体を立てておくのが難しくなり、ついつい鞍の前を握ってしまった。その後の旅行中腹筋内部が疲労感が辛かった。帰国後整形外科に行ってロキソニンを貰った。X線を取ったら驚いていたが、まあ当然かとも感じている。背骨を支え続けるという意味でこれからも体幹を維持しなければならないのだろう。

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図書の整理

大学時代にはそれなりに多くの書籍を購入していた気がする。引っ越しをするたびに書籍も一緒に移動してきた。大学時代の4年間で4回下宿を移動した。その後同じ大学で大学院生となったためほとんどの時間を研究室で過ごすようになった。そのため下宿には寝るだけに帰ることがほとんどとなり、研究室近くに住むことにした。当時の下宿には風呂がなく夕食後に行く学生時代の銭湯は混雑していたが、時間の余裕を調整し研究室から直接行く銭湯は開店直後の空いている時間を選んだものだった。研究室を中心にした生活では、下宿は書籍置き場と寝るだけ、たまに簡単な夜食を作る程度だった。その後同じ実験室の先輩の就職に伴い、彼の住んでいた部屋に住むことになった。そこは小中高生を教えていた塾の一室で塾建物の管理を含めて寝泊まりしていたが、塾ということで、自分の図書を書棚に並べて公開・開放することにした。

その後就職することになったのが1980年、ほとんどの図書はそのまま置いて任地に移動した。その後再び書籍が溜まっていくことになるが、約10年後に勤務先が実家近くになる。就職後に溜まった書籍は元の職場近くの妻の元と実家に分割されていることになる。当時PCが個人が利用できるようになると図書の整理・在庫管理に利用した。おそらくカード型データベースを利用したのであろう。以下の書籍で説明しているものだ。

日本語カード型データベース Ninja(忍者)徹底活用術 (MEGA BOOKS) (日本語) 単行本

– 1987/10/1・飯島 弘文 (著), マイクロデザイン (編集)

整理してみると、文庫本などが複数冊重複していることが実感できた。実家でも必要な書籍を購入し続けたが、いつのことだろうか図書館が自宅から手軽に検索・借り出し予約することが可能になった。その後書籍を購入・蓄積していくことは少なくなった。

従来、自分で購入・読破・参照した書籍は書棚などに整理し必要に応じて取り出していた。そのため書棚を拡張する必要はあったが、手持ち書籍記録・読書記録などとして格段整理していなかった。また友人などの自宅に行くと、書棚に並んでいる本から個人の興味などを推測したものだった。一方図書館などで借り出して読んだ書籍については、全く記録に残らないことになってしまう。

読んだ記録の方が並べておく書籍より重要であると感じていたものの、具体的な方策はカード型データベースなどに別途付け加える程度しか思いつかなかった。一方インターネットの普及とともにクラウド上で個人の読書記録などを整理する方法が紹介され始め、MediaMakerというサービスを知った。具体的に利用し始めたのは主に図書館で借用した書籍の読書記録だった。一方図書館では複数冊の借出し・複数冊の予約が可能であったため、借出している本を読んでいると予約本も届くことになり結果的に図書を購入する時間的余裕がなくなった。また従来書籍の購入は書店の棚に整理されているものから選んでいたが、MediaMakerを通してたまたま読書感想に興味を惹かれた方が読んでいる本にも興味を惹かれることが多くなった。また図書館を訪ねることも多くなり新聞・雑誌などの書評を目にとめる機会も増えたなど逆に書店を訪れる機会は減少した。

残念なことにサービスが昨年末で終了したため、とりあえず現在、記録を個人のPCに取り出した。ここで取り出した記録を含めて最近の読書記録を整理してみよう。

最初の記録は、読了日2005/11/22の「銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎」であった。

読破した年と冊数を確認すると、この15年で1000冊ほど読んだことになる。

 

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最初の頃は読んだ書籍を全て読了した書籍として網羅して記録せず、読んだ後に印象に残った部分・検討が必要な部分などを明確にし読書記録に敢えてコメントとして残すことにしていた。

読了後コメントの書いていない書籍は、2009年5月から始まりその後読んだ全948冊数中にコメントが無い冊数として18冊が確認できた。したがって読了したものについてはほとんどコメントを残していることになる。

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コメントをどの程度記載しているかを確認するため、年毎のコメントの文字数を確認した。多い年には2万文字・400字詰原稿用紙50枚程度であろうか。

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年毎に読破した冊数が異なるので、年毎の平均文字数も確認した。

 

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一応個人のPC上にデータベース形式で保管しているので、うろ覚えの読書記憶もコメントなどで検索して辿れる場合もありそれなりに活用している。一方出先などでの読んだ記憶の確認には不便なので、現在この記録を保管場所を探している。時々図書館から一度借りた書籍を再び借り出し、コメントを記載するときになって初めてすでにコメントを記載していた書籍であったことに気づく場合もあった。異なった観点からのコメントであったりしてそれなりに楽しいこともあるが、読む前に気づくべきであろうと感じている。

自宅の書棚の機能は、自分が読んだ書籍を確認でき、いつでも参照することができることだと思う。ネット上に個人の書棚を持つことは、自分なりの分類区分が簡単に作成できる・検索が手軽にできることなど確認機能は強力である。一方いつでも速やかに書籍を確認し内部を参照できるわけではない。しかし自分の読んだ書籍の確認、必要に応じて読書記録などを整備していれば、直接書籍を参照する必要性は少なくなるであろうしいろんな方々の読書記録なども参照できることもあり今後の更なる発展性が考えられる。

浅川地下壕の見学:戦争の記録

浅川地下壕の見学:2019年2月16日

 

2019年01月22日(火) に高尾山周辺に散策に行った折、地区掲示板に(社会教育講座)浅川地下壕見学会2019年2月16日午前9時半高尾駅南口集合との掲示を確認した。2019年01月22日(火) に高尾山周辺に散策に行った折、地区掲示板に(社会教育講座)浅川地下壕見学会2019年2月16日午前9時半高尾駅南口集合との掲示を確認した。

高尾山・城山周遊 - 2019年01月22日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

ちょっと集合時間が早く都合がつかないかと感じていたところ、以下のホームページを確認したら、2月16日(土)PMでの地下壕見学案内があった。

浅川地下壕

早速メールにて申込、高尾駅南口改札に集合時間13:30の10分程前に着くと既に受付が始まっていた。長靴に身を固めたガイドの「中田均」さんが、子供を背負った方の受付を行っており、付近には既に受付が終了した方々が立っていた。参加費は、配布資料代・保険代で合計400円/人である。

参加者に配布された資料から以下に沿って説明していくようだ。

1.浅川小学校・飯場跡・みころも霊園、2.浅川中学校・引き込み線跡・金毘羅山・ロ地区地下壕・ハ地区地下壕、3.高乗寺・イ地区地下壕(解散)

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予約された方がそろったのを確認して、旗をかざして先頭を行く中田さんの後に三々五々ついていった。南口を出た直後の交差点では、後から来る人を待つなど皆一緒に行動していく。

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浅川小学校・校庭入口横で、中田さんからの説明を聞く。地下壕(総延長10.2km)はイ・ロ・ハの三地域があり、ここからはロのある金比羅山とイのあるその南側の山が見渡せた。また学校は当時尋常小学校で地下壕が掘られた戦争末期には午後からは軍が施設利用していたそうだ。校庭の山側には、地下壕を掘っていた朝鮮からの徴用工の飯場もあったそうだ。

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その後、若干高台にある「高尾みころも霊堂」の休憩所から主に北西側周辺・金毘羅山・初沢山などを確認しながら、イ・ロ・ハの地下壕、またイの地下壕測量時の話題などを説明してもらった。中田さんは、近くにあった東京都立館高等学校の教師で、生徒を指導しながら課題活動として地下壕の測量を行ったそうだ。また生徒たちが当時の徴用工の方々に作業なども含めて戦争時の聞き取りも行ったそうだ(東京都立館高等学校は、平成16年3月末をもちまして閉校しました。 閉校後は校舎内を改装し、平成17年4月より新しい単位制高校(東京都立翔陽高等学校)が設立されました)。

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また米国資料館から得られた浅川地下壕の戦後のGHQによる確認と設置されていた工作機械などの賠償物資としての搬出した経緯などの説明があった。米軍資料によれば設置されていた当時の中島飛行機の工作機械はほとんど国外製で、湿気は機器を錆びさせ、また狭い構内構造と相まって作業効率は悪く労働環境は劣悪だったようだ。

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その後再び三々五々、初沢山のふもとを回り込みながら、初沢沿いに高乗寺にむかった。

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高乗寺の駐車場脇の崖際には入口が封鎖された地下壕があった。右側の電線は内部に設置されている東京大学地震計へ電気を送っているそうだ。

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ヘルメットを貸してもらい、各自懐中電灯などの身支度を整えて、個人宅の庭を通過し地下壕入口に向かった。

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実際に地下壕を見るとその大きさに驚いた。内部は暗闇・早速懐中電灯に頼った行動が始まる。

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まず中田さんが参加者を確認、地下壕での行動時の注意などを行う。慣れない環境注意が必要だと感じていたので適切な動きだと感じた。

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地下壕は内部が四方に分かれている。

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しばらく行くと塞がれていた。オウム事件があった時に警察庁から点検・確認があり、一定のところで閉鎖されたそうだ。

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測量図を掲げながらの地下壕の配置と現在地の説明などが行われています。

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皆熱心に聞き入っています。

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東京大学地震計が置かれている場所も確認しました。確かに岩盤に直接設置できまた近くを車両が通らないなど理想的であろう。設置者との紳士協定で見学は月一回に留めているそうだ。

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若干拡げられた箇所にはいくつかの穴があけられていました。見学者は竹竿で深さを確認します。50-150cm程度でしょうか。穴の奥にダイナマイトを入れ岩を砕き人力で外に出していたようです。

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岩壁から地下水が染み出てツララとなっているところもある・小さな石灰石の石柱ができていた。

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最後にヘルメットを回収し最後の説明。地下壕の広くなったところでセメントが吹きつけられていた部分があった。1999年天井から崩れた瓦礫の中に当時の工事用ダイナマイト3トンを偶然見つけたそうだ。敗戦直後の混乱する中でとにかく隠してしまったのではないかと推測していた。当時は強制連行された朝鮮人の行動を恐れた処置ではないかと推測していた。

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終了後、JR高尾駅周辺まで散策し蕎麦屋のカウンター席で、一人軽く一杯楽しんだ。土曜日の午後5時過ぎということで、テーブル席にはいくつかのハイキング姿の団体の談笑が溢れていた。

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帰宅後戴いた資料を確認した。なかなかよくできていて戦時中の経過経過を含めて理解が広がった

【部分コピー資料】

軍用機エンジン工場・八王子の「浅川地下壕」:産経新聞多摩版2014/09/14

守れ無言の証人:日経新聞2014/07/30

天井に不発弾の痕跡?:東京新聞2015/07/30

浅川金毘羅山の自然と遺跡は残った:市民活動の広場・第121号2014/06/01

【作成取り纏め資料】

1.地下壕の実測・坑道の距離 1993年3月~9月都立館高校フィールドワーククラブ・浅川地下壕イ地区を実測調査:単位cm

2.配置図 資料提供:八王子市郷土資料館

3.浅川地下壕(中島飛行機地下工場跡)見学資料:浅川地下壕関係年表・昭和20年度第一次朝鮮人労務者割当表(日本土木建築統制組合)

4.三つの地下壕

5.米国戦略爆撃調査団報告書:「中島飛行機の地下工場 浅川」・「日本の航空機の地下生産 結論」

6.パンプレット:浅川地区 史跡・自然公園の実現を

7.金比羅山造成阻止と公園化の展望:高尾・浅川の自然を守る会

8.強制連行200人計画が判明 - 浅川地下トンネル・中島飛行機地下工場 中田均:西東京編ー異国に刻まれた怨念の史実、統一評論第357巻1995年3月に加筆・訂正

9.参考文献

 

 

緑内障・その後

点眼薬を利用することになった。基本的なことを確認していこうと思う。

通常の点眼瓶からの1滴の容量は、普通では約40~50μL(0.04~0.05mL)で、そのうち結膜嚢に入るのは約20μL(0.02ml)で、あとはこぼれてしまうそうだ。従って1回の点眼量は1滴で十分。

点眼直後にまばたきをしてしまうと、目薬の成分が涙で流されてしまい、効果が少なくなってしまう。点眼後は目をつぶって、1分程度じっとしておくのが正解。点眼後、目を上下左右に動かすことも成分が目の外に流れ出してしまうので注意。

 目薬も飲み薬同様、過剰に使い続けることで耐性ができやすく、目の場合は耐性ができると涙が出にくくなり、かえってドライアイになりやすいといわれている。

また目薬は通常防腐剤が入っている。 従って使い過ぎには注意すること。防腐剤無添加のものは開封後の使用期限は例えば1週間程度と短い。使用期限は『封を開けなければ持つ日数』のこと。開けた瞬間から有効成分の劣化が始まるため、開封後は防腐剤の有無にかかわらず、1か月で使用はやめるようにする(現在利用中の点眼液は2.5mlなので50日分に相当する)。

一般的に緑内障で利用する点眼薬は強い効果がある。現在利用している点眼薬は、着くと皮膚を黒くするなどの副作用があるそうです。そのためか点眼5分後に洗顔することが推奨されている。一滴をきちんと入れるについては実際にはうまくいかないときもあるが、できるだけ鏡を見ながらきちんと入るような訓練を続けていこうと思う。

点眼剤を利用して、眼の疲れも気になってきた。眼科で相談し以下の点眼薬を適宜利用しています。点眼薬を入れる訓練にもなるかと考えている。

ソフティア点眼液0.02%の効果効能・副作用・用法容量について【千寿製薬株式会社】 [薬検索] All About

一方上記の理由から、点眼薬の多用はできるだけ避ける必要があると感じた。

以下の書籍を読んでみた。参考になる。

緑内障の最新治療 これで失明は防げる 改訂新版の通販/平松 類/植田 俊彦 - 紙の本:honto本の通販ストア

なかでも以下の3点には、注意したい。

1. 枕を高くすることで、寝ている間の眼圧が20%低くなるデータがあり効果的。

2. 白内障の手術については、将来の緑内障の手術を考慮して実施すること。

3. 緑内障の治療は「失明しないため」であり、その前提は「人生をよりよくするため」ためである。「治療に没頭し緑内障のことが頭から離れずに毎日を楽しめないとしたらその治療に意味があるとは言えない」ことに留意すること。

一方最近叔父が亡くなった。92歳であった。従妹と話していたら、彼は緑内障の点眼薬を差していたようだ。眼科を最初に受診したとき「遺伝性の病気なので身内に居たら注意してください」と言われたがあまり深く考えなかった。まあ最近読んだ「40歳から気をつけたい「眼の成人病」」によれば、白内障緑内障・糖尿病網膜症などが老化現象とともに出現するということで注意しながら生活することが重要であろう。

正月・年の初め

今年の正月は大分県で迎えた。いい機会なので今まで正月風景を見ていない近隣の神社を訪れることにした。日出市の神社に別府から往復・帰着後温泉を楽しむことにした。幸い別府市の市営温泉の多くは年末年始に無料になることも楽しみの一つだ。

年末年始の別府市営温泉の営業|別府市

日出では以下の神社の参拝が紹介されていました。

愛宕神社
◇甘酒のふるまい(12月31日深夜~3日)
◇神事 元旦祭(1月1日10時~)

◆横津神社
◇甘酒・おしるこのふるまい(1月1日0時~3日)
◇神事 元旦祭(1月1日7時~)
※鳥居の中央から御来光が拝めます

◆日出若宮八幡社
◇御せん米3000袋の配布
居合道奉納(1月3日11時~) 

◆八津島神社
◇除夜祭(12月31日23時~)
◇神事 歳旦祭(1月1日2時~)
◇お神酒のふるまい・福引抽選(1月1日0時~)
※祈願神楽

大山積神
◇神事 元旦祭(1月1日1時~)
◇お神酒のふるまい・福引抽選(300名程度)(1月1日0時~)

◆大神八幡神社
◇神事 元旦祭(1月1日0時~)
◇お神酒のふるまい・福引抽選(1月1日0時~)

◆遠見稲荷神社
◇甘酒・お餅のふるまい(1月1日~2日午前中)

住吉神社(回天神社)
◇紅白餅のふるまい(500個限定)

◆住吉本宮神社
◇甘酒のふるまい(元旦)
※水平線から昇る初日の出の絶景スポット

◆井出八幡神社
◇神事 元旦祭(1月1日8時30分~)
◇甘酒のふるまい

初詣2019(日出町)/ イベント情報/ 日出町/ 年末年始 |  iナビおおいた

ざっと上記を確認し、1日にはとりあえず出かけてしまった。日出若宮八幡社、その後愛宕神社に向かうつもりだったが間違えて春日神社に行ってしまった。とりあえず日出地域で最も参拝者が多いと言われている愛宕神社を確認したかったので、翌日再び行くことにした。翌日については以下のようなルートを辿った。走行距離と時間なども確認した。

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発2019年1月2日 11:18 距離: 39.3 km/所要時間: 5 時間 15 分 12 秒/平均速度: 毎時 7.5 km/最小標高: 3 m/最大標高: 149 m/累積標高(登り): 345 m/累積標高(下り): 359 m

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ここは日出若宮八幡社、参拝を済ますと近づいてきた写真の青い法被をまとった方から袋に入ったお米を頂いた。

その後春日神社に参拝した。ここでは全く人に会わなかったもののきれいに整えられたたたずまいは地域の人たちの落ち着きを表しているようだった。

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翌日は国道を走っていると、台座に鯖大師と書かれた石仏があった。鯖大師は初めて知ったものだが自転車移動ではいろいろな見分が増える。

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愛宕神社は、参道下の駐車場から数軒の屋台が並び、さすがに参拝者も確認できた。

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鈴を鳴らし二礼二拍一礼を行い今年の幸運を祈った。

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本殿近くの甘酒配布は終了し、また反対側の屋台のジビエ・猪の串は既に昨日打ち切れてしまっていた。

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帰路、井出八幡神社を確認したので、参拝した。

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本殿横の社務所から呼び止められ、紅白餅と甘酒を戴いた。

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横津神社はきつい参道の上にあった。

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本殿に置かれた太鼓には、日出城主・木下公に参殿の挨拶をするように記されていた。

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ここでも社務所から呼び止められ甘酒を戴いた。ここでの初日の出はちょうど鳥居の上に上がってくるようで見ごたえがあるそうだ。

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参道から降りてくる道すがらちょうど蠟梅の花が咲いていた。

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帰路暘谷駅前のスーパーで鱧を購入、水炊きでご苦労様でした。

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なお自転車に装着している折り畳み式のペダルが右側が畳めなくなってしまったことに気づいたが、往路にて歩道への段差を乗り越える角度が狭かったため転倒したことに由来するのかもしれない。ヘルメット着用で体への影響はないことは幸いであった。



 

寒い時期のiPhone

だんだん寒くなってきた。今朝起きてiPhoneの電源を入れたらアップルマークが表示されてからすぐにダウンしてしまった。再度入れたら低電圧モードへの変更の指示があったものの、利用できた。電源表示を確認したら電圧が9%と表示されていた。OSが新しくなった昨年の冬にはしばしば体験していたことだ。低温のためだと思っていたので、しばらく胸に入れていたが、あいかわらず電圧が下がったままだった。再び電源を入れ直すと、電圧が48%に回復していた。

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設定からバッテリーを確認した。タブ「24時間以内」を確かめると、11月30日に50%前後の電圧が12月1日の朝に電源を入れた時には10%程度に下降していた。その後充電せず胸で暖め再起動すると、再び電圧は回復していた。

 

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タブ「10日以内」で確認すると火曜日に使用状況が大きいことがわかる。火曜日はハイキングに行ってGPSを利用して終日ルートをトラッキングしていた。途中で電圧が下がってきたのでモバイルバッテリーで充電しながら行動を継続した。

バッテリー状況では、最大容量が89%を示していた。つい最近まで92%だったはずだ。

以下のように、現在Appleでバッテリーを交換すると割引になるが、送るのが面倒な気もするので80%以下になるまで待ってみようと考えた。

* 2018 年 12 月 31 日までの間、対象となる iPhone 6 以降のモデル (iPhone SE を含む) の保証対象外バッテリーサービス料金を 3,200 円とさせていただきます。なお、3,200 円にてバッテリーサービスを受けられるのは iPhone 1 台につき 1 回限りとさせていただく場合があります。2019 年 1 月 1 日以降は、iPhone X の料金が 7,800 円に、その他すべての iPhone モデルの料金が 5,400 円に改定されます。

iPhone のバッテリーと電源 - Apple サポート 公式サイト

 

 

 

 

 

 

緑内障になっていた

緑内障が確認されました。強いて言えばバランス感覚が悪くなったかもしれないなどと感じることがありましたが、自覚症状が全くない状況で、これだけはっきり検査結果が出たことに驚きました。高齢に向かう今、検査は有効だと実感しています。

 2018年9月20日に眼科に行きました。最近パソコン作業時に目が疲れるので確認と、専用のブルーレイカット眼鏡などの相談の為です。眼圧検査・目の奥の検査(眼底検査)などを行い、医師から、視神経が細くなっているような気がするので、視野検査をさせてほしいと言われました。

視野検査を行うと案の定右目の視野の一部が欠けているようです。ハンフリー視野検査という方法ですが、結果は右目と左眼で実際かなりの差があり、実際検査を行っている時にも右目には左目に比べて反応が現れないことを実感していました。

「ハンフリー視野検査」の詳しい説明は以下です。

緑内障の視野検査 | 川本眼科(名古屋市南区)


目の検査については今まで以下のように行っていますが、全く指摘されたことはありませんでした。
2016年2月9日に眼科で受けた疲れ目の検査、2015月8月21日の人間ドック(眼圧・眼底測定実施)、2012年2月27日・2013年7月10日に眼科で受けたドライアイの確認

今回眼圧の測定結果は16mmHg、10~20mmHgが正常範囲とされているそうなので、正常範囲です。

視野検査結果は右目・左目は以下のようでした。特に右目の黒い部分が視野が欠けているそうです。

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緑内障は遺伝的性格を持つともいわれているそうなので、身内緑内障の方はいないか尋ねられたが、強いて言えば父方の老いた祖母が失明して寝たきっりだったのを思い出しました。

点眼薬の処方を受け、ほぼ1週間後の9月26日に再び眼圧測定を行いました。眼圧に全く変化がないので、今後とも毎日点眼を続け1-2週間後に再度来院してほしい旨告げられたところです。

緑内障の確認のため自分の指を利用し視野テストを行ったが、あまりきちんとした結果は得られなかったと伝えたら、自分で確認するのは難しいのではないかと言われました。

緑内障のセルフチェック方法 | 緑内障の専門サイト


なお初期の目的であるパソコン作業につかれることについては、スマホやパソコンを見る距離については、既に老眼鏡の範囲であることがわかりました。

また緑内障については「公益社団法人 日本眼科医会」の

「トップページ > 目についての健康情報 >よくわかる緑内障―診断と治療―」

に取りまとめられています。よくわかる説明です。

公益社団法人日本眼科医会

 

要約すると

緑内障は決して珍しい病気ではありません。日本では、40歳以上の約5%、つまり20人に1人という高い頻度で、緑内障があることがわかっています。年齢が上がるにつれて緑内障の頻度はもっと多くなります。緑内障の患者さんの多くは視野障害の自覚がないため、たくさんの人が自分の病気を知らずに暮らしており、健診などで発見されることがほとんどです。
緑内障の診断の原則は、眼底検査で視神経が減った場所があり、それにほぼ一致して視野の異常が見られる場合に、緑内障と診断されます。

眼圧を下げることにより、緑内障が進行しにくくなりますので、できるだけ早期に緑内障を発見し、点眼薬などにより眼圧を下げ続けることが大切です。緑内障の患者さんの多くでは、眼圧は正常であり、視野障害の自覚もありません。

眼圧は10~20mmHgが正常範囲とされていますので、20mmHgを大きく超えるような眼圧が続くと、視神経が障害される可能性が高くなります。しかし、眼圧が高くない人にも緑内障が少なくないことから、眼圧以外にも緑内障の原因があると考えられています。原因として「視神経が弱い」、「血流が少ない」、「視神経に毒として働く物質が存在する」「免疫の異常」などいろいろ考えられていますが、どれも確実な証拠は見つかっていません。

開放隅角緑内障では、病気がかなり進行するまで自覚症状はほとんどありません。眼圧に関しては、正常眼圧緑内障が多いことに加え、20mmHgを少し超える程度の軽度の眼圧上昇では、特に異常を自覚することがないからです。視野に関しては、初期から中期の視野障害は視野検査では検出されますが、患者さんが視野の欠けを自覚することはまれです。

緑内障の診断のためには、眼圧検査、目の奥の検査(眼底検査)、視野検査の3つが必要です。慢性緑内障では眼圧が高くないこと(正常眼圧緑内障)も多いのですが、緑内障の種類を決めて治療方針を考えるために、眼圧検査は欠かせません。
その際には、眼圧が正常範囲(10~20mmHg)に保たれていればよいのではなく、その人のなにも治療しない時の眼圧(ベースライン眼圧)から治療によりどの程度下げられるかが重要なポイントとなります。

また日本眼科学会の以下も参考になります。

http://www.nichigan.or.jp/public/disease/ryokunai_ryokunai.jsp

 

当面、点眼薬を確認しながら眼圧を下げていくことに努めるのであろうと思われる。

現在処方されている点眼薬はタプロス点眼液0.0015%です。使用方法については以下が詳しい。

www.santen.co.jp

9月に発見して2ヶ月も過ぎた11月30日6回目の検査を受けました。最初左右ともに15mgHgであった眼圧は、点眼を続けている右目は11mgHgに下がっています。今後とも続けていく方針を確認しました。