自宅の整理
母親が残していったものが、家には数多く残されている。
両親の老後生活に向けて1994年12月、母親73歳・父親76歳の時に自宅を新築した。当時父親は脳溢血後の若干不自由な体に加え、前年にはアキレス腱も切断・トイレに行くことにも不自由を感じていた。断熱性能・バリヤーフリー化などに配慮した設計しと、父親の行動も若干拡大することを期待していた。しかし残念ながら新築の家に1年も暮らすことのない翌1995年10月に父親は旅先で心筋梗塞で急死、77歳であった。ちなみに当時の平均寿命は男76歳・女82歳、健康寿命は男69歳・女70歳、父親死亡時年齢での男の平均余命は9.8年である。既に数年前の脳梗塞で若干身体が不自由であった父親にとっては自分では気づかなかったかもしれないが引っ越しは負担が多かったかもしれない。平均寿命・健康寿命は越えているものも平均余命もまだある年齢で、葬式には父親・母親の友人が多く参会し、ともに偲んでいたような気がする。
一方母親はその後元気に暮らしていたが、80歳ごろから圧迫骨折を繰り返し、86歳になると自宅での車椅子生活、91歳からは施設での療養生活を余儀なくされ96歳で亡くなった。死亡時年齢での女の平均余命は5年である。僅かに残っていた友人・同世代の身内も色々な意味で身体的な障害を有し、葬式に参会できる状況ではなかった。母親が健康寿命を越えた73歳から80歳ごろまで自宅で元気に暮らせた、またその後の自宅での車椅子生活を支えたのも新築した自宅の貢献は大きかったと感じられる。
自宅新築時の期間中、近くの解体予定の古家を借りることができた。旧家屋の解体前に、荷物を適宜リヤカーで借りた古家に、また新築後には借りた古家から適宜荷物を持ち込んだ。また別に近所の家の納戸を借用、また別の家の庭に植木を一時仮置きなどの柔軟な対応を行った。そのため時間的には余裕のある引っ越し作業ができた。
引っ越し時も含め自宅の物品は活用できたものの、十分な整理はできなかった。父親の亡くなった時の遺品・遺産は、原則新築の家に暮らす母親が引継ぎ整理するという考え方であった。今回母親が亡くなって改めて兄妹が整理することになった。遺品・遺産の概要は理解していたが、実際に目にしてみると、自分たちの物品の整理を含め気を引き締めてかかる必要があると感じた。
自宅新築時の基本的な考え方は、今後ますます進む両親の老齢化・また利用状況の変動などを前提とし、完成体ではなく状況に応じて適宜手を加えていこうとするものであった。そのため2階の部屋の一部を壁内装、床張りなど未実施で暫定作業部屋として活用することにした。またカーテンなども古いカーテンの活用、適宜購入などを考えていた。このため新築時での物品の整理が遅れた部分も多い。
母親の死
介護施設で暮らしていた母親が、2017年5月中旬・96歳で亡くなった。
2015年の夏を迎える前に、母の体の衰弱が顕著となった。その為、施設対応の医師在席のもと、介護施設の各担当者と、もしもの場合には施設での看取りを希望するかそれとも病院での延命処置を行うかを検討した。
母親は今まで十分努力して生きてきたということを家族が納得しているという前提で、施設での看取りを希望する旨既に関係者で確認してあった。話題の中で機会を見て自宅に帰るなら支援できる旨、施設から提案を受けた。その後暑くなる夏に向けて受け入れ準備も想定できないままだったが、夏を過ごし母親の体調もそれなりに安定している状態が続いた。冬も終わり暖かくなった2016年の5月連休明けの土曜日に、検討していた自宅で軽い昼食と休息をとることが出来た。
施設に入居した当時から、母の気分転換を兼ね、しばしば車いすで外出・散歩をしていた。30分から一時間の散歩コースだった。
母も楽しみにしていた散歩だが、亡くなった年の正月明けからは、寒い日・風がある日などが重なって、散歩ができないことも多くなった。骨粗鬆症の痛みの続く状況では、介護ベッドと車椅子との移動頻度をできるだけ少なくするように、車椅子に乗った食事の前後に散歩を設定していた。散歩ができないということで、限られた訪問した時間では、弁当などを用意し夕食を中心に個室で一緒に取ることにした。
2017年も真夏の暑さが訪れる前に機会を見て自宅に迎い入れたいと考えていた。一方衰弱も続き、5月の最後の夕食となった日は、かなり衰弱している様子だった。
介護ベッドから車椅子への移動は、通常家族が自力で本人を引き上げて行っていた。しかし当日は身体がぐったりしており慣れている介護士に依頼した。車椅子に立ち上がった時、口から長い痰が流れ出る様子を確認し介護士に指摘した。自室で一緒に食べさせた後休憩しその後の対応を介護士に依頼し帰宅した。翌日は熱があり施設側で病院に連れていき、肺炎(誤嚥性ではない)を確認し、点滴したそうだ。その後引き続き施設での肺炎対応の点滴を4日間続けて行い、点滴を外したのち2日後に亡くなった。
施設での看取りについては十分納得できていたが、最後にもう一度自宅に落ち着いて過ごさせてあげたいという思いもあった。施設から自宅に戻し、葬儀・火葬・納骨などが続いた。その後の自宅の片付けなどを含めこの場で確認していきたいと思っている。
高等教育の検討
高等教育を無償化するという話題がある。現在の高等教育の位置づけを考察する。高等学校までの教育達成目標については、高等教育への橋渡しとして受験教育の影響が大きい。一方高等教育の達成目標・期待できる効果については、一般教育と職業教育とが混在している状況である。職業教育に関しては以下のような、意見がある
【高等教育で、ある意味職業教育として位置づけられているのは医学のみである/教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書) 本田 由紀】。
旧来、日本では職業教育としては徒弟制度に裏打ちされた作業を通しての教育(OJT)が主に行われてきた。特定の職業教育に内在する試行錯誤の成果は徒弟制度で維持されてきたが、汎用性のあると信じられている科学に裏付けられた試行錯誤の実行には一般教育で培われた知識こそ有効である。
「文科省の[大学における工学系教育の在り方に関する検討委員会]」の議事録には
大学における工学系教育の在り方に関する検討委員会(第4回) 配付資料:文部科学省
工学教育改革を進める上で重要なことの一つとして、大学教員の意識改革が挙げられ
る。産業界の中堅研究者・技術者へのヒアリングを行った際も、大学の講義や実験が社会とどのように繋がっているのかイメージが湧かず、就職してから大学で学んだことの重要性に気付いたという意見が多く聞かれるなど、大学教育の教え方について、これまでのような教員が教えられる・教えたい教育中心ではなく、学生が主体的に学べる環境を確立し、大学卒業後の出口を見据えた教育システムに転換する必要がある。
また、大学と産業界のマネジメントを理解すること、他分野への関心と協調性を持つことや教育研究資金を集めることができるような発想力等も大学教員には重要である。
周辺の人を眺めて
高年齢者が年少者を見るとき、年少者を以前からよく知っている場合と知らない場合とで、前者は実態より未成熟に、後者は実態より成熟して想定してしまう。前者では高齢者(実態A)は自分の時間経過で以前の年少者(実態B)の成熟を推定する、後者は同様に自分の時間経過で自分の成熟度から巻き戻すためである。前者の例は親が子供を見るときであり、後者の例は自分の周辺に年少者が現れる場合であろう。
逆に年少者が高齢者を見るときには、初めに想像する場合には自分の時間経過で相手を判断するため若い時ほど年長者はより成熟していると感じるはずだ。学校などで上級生ははるかに大人びて感じたことはあると思える。
いま高齢者になって、かつての同年代の人の気持ちを想像する場合がある。これは時間経過が同じ時点での成熟度(もちろん通過した環境は異なっているが)に依存する部分であり異なった議論である。
以下は追加事項
【ジャネの法則】19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案した、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したものである。時間の長さとは、追加される新たな記憶という意味であろう。すべて忘れては生活できないが、
改めて縦軸の成熟度が気になってきた。成熟度:環境に対して自己を適応させていくこと。環境と自己意識のギャブが少なくなっていく過程。
環境が変わっていくとき、個人個人の成熟度は個人ベースで異なる場合もある。例えばタイムマシンで現代に現れた昔の人の成熟度は