浅川地下壕の見学:戦争の記録

浅川地下壕の見学:2019年2月16日

 

2019年01月22日(火) に高尾山周辺に散策に行った折、地区掲示板に(社会教育講座)浅川地下壕見学会2019年2月16日午前9時半高尾駅南口集合との掲示を確認した。2019年01月22日(火) に高尾山周辺に散策に行った折、地区掲示板に(社会教育講座)浅川地下壕見学会2019年2月16日午前9時半高尾駅南口集合との掲示を確認した。

高尾山・城山周遊 - 2019年01月22日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

ちょっと集合時間が早く都合がつかないかと感じていたところ、以下のホームページを確認したら、2月16日(土)PMでの地下壕見学案内があった。

浅川地下壕

早速メールにて申込、高尾駅南口改札に集合時間13:30の10分程前に着くと既に受付が始まっていた。長靴に身を固めたガイドの「中田均」さんが、子供を背負った方の受付を行っており、付近には既に受付が終了した方々が立っていた。参加費は、配布資料代・保険代で合計400円/人である。

参加者に配布された資料から以下に沿って説明していくようだ。

1.浅川小学校・飯場跡・みころも霊園、2.浅川中学校・引き込み線跡・金毘羅山・ロ地区地下壕・ハ地区地下壕、3.高乗寺・イ地区地下壕(解散)

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予約された方がそろったのを確認して、旗をかざして先頭を行く中田さんの後に三々五々ついていった。南口を出た直後の交差点では、後から来る人を待つなど皆一緒に行動していく。

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浅川小学校・校庭入口横で、中田さんからの説明を聞く。地下壕(総延長10.2km)はイ・ロ・ハの三地域があり、ここからはロのある金比羅山とイのあるその南側の山が見渡せた。また学校は当時尋常小学校で地下壕が掘られた戦争末期には午後からは軍が施設利用していたそうだ。校庭の山側には、地下壕を掘っていた朝鮮からの徴用工の飯場もあったそうだ。

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その後、若干高台にある「高尾みころも霊堂」の休憩所から主に北西側周辺・金毘羅山・初沢山などを確認しながら、イ・ロ・ハの地下壕、またイの地下壕測量時の話題などを説明してもらった。中田さんは、近くにあった東京都立館高等学校の教師で、生徒を指導しながら課題活動として地下壕の測量を行ったそうだ。また生徒たちが当時の徴用工の方々に作業なども含めて戦争時の聞き取りも行ったそうだ(東京都立館高等学校は、平成16年3月末をもちまして閉校しました。 閉校後は校舎内を改装し、平成17年4月より新しい単位制高校(東京都立翔陽高等学校)が設立されました)。

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また米国資料館から得られた浅川地下壕の戦後のGHQによる確認と設置されていた工作機械などの賠償物資としての搬出した経緯などの説明があった。米軍資料によれば設置されていた当時の中島飛行機の工作機械はほとんど国外製で、湿気は機器を錆びさせ、また狭い構内構造と相まって作業効率は悪く労働環境は劣悪だったようだ。

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その後再び三々五々、初沢山のふもとを回り込みながら、初沢沿いに高乗寺にむかった。

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高乗寺の駐車場脇の崖際には入口が封鎖された地下壕があった。右側の電線は内部に設置されている東京大学地震計へ電気を送っているそうだ。

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ヘルメットを貸してもらい、各自懐中電灯などの身支度を整えて、個人宅の庭を通過し地下壕入口に向かった。

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実際に地下壕を見るとその大きさに驚いた。内部は暗闇・早速懐中電灯に頼った行動が始まる。

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まず中田さんが参加者を確認、地下壕での行動時の注意などを行う。慣れない環境注意が必要だと感じていたので適切な動きだと感じた。

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地下壕は内部が四方に分かれている。

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しばらく行くと塞がれていた。オウム事件があった時に警察庁から点検・確認があり、一定のところで閉鎖されたそうだ。

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測量図を掲げながらの地下壕の配置と現在地の説明などが行われています。

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皆熱心に聞き入っています。

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東京大学地震計が置かれている場所も確認しました。確かに岩盤に直接設置できまた近くを車両が通らないなど理想的であろう。設置者との紳士協定で見学は月一回に留めているそうだ。

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若干拡げられた箇所にはいくつかの穴があけられていました。見学者は竹竿で深さを確認します。50-150cm程度でしょうか。穴の奥にダイナマイトを入れ岩を砕き人力で外に出していたようです。

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岩壁から地下水が染み出てツララとなっているところもある・小さな石灰石の石柱ができていた。

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最後にヘルメットを回収し最後の説明。地下壕の広くなったところでセメントが吹きつけられていた部分があった。1999年天井から崩れた瓦礫の中に当時の工事用ダイナマイト3トンを偶然見つけたそうだ。敗戦直後の混乱する中でとにかく隠してしまったのではないかと推測していた。当時は強制連行された朝鮮人の行動を恐れた処置ではないかと推測していた。

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終了後、JR高尾駅周辺まで散策し蕎麦屋のカウンター席で、一人軽く一杯楽しんだ。土曜日の午後5時過ぎということで、テーブル席にはいくつかのハイキング姿の団体の談笑が溢れていた。

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帰宅後戴いた資料を確認した。なかなかよくできていて戦時中の経過経過を含めて理解が広がった

【部分コピー資料】

軍用機エンジン工場・八王子の「浅川地下壕」:産経新聞多摩版2014/09/14

守れ無言の証人:日経新聞2014/07/30

天井に不発弾の痕跡?:東京新聞2015/07/30

浅川金毘羅山の自然と遺跡は残った:市民活動の広場・第121号2014/06/01

【作成取り纏め資料】

1.地下壕の実測・坑道の距離 1993年3月~9月都立館高校フィールドワーククラブ・浅川地下壕イ地区を実測調査:単位cm

2.配置図 資料提供:八王子市郷土資料館

3.浅川地下壕(中島飛行機地下工場跡)見学資料:浅川地下壕関係年表・昭和20年度第一次朝鮮人労務者割当表(日本土木建築統制組合)

4.三つの地下壕

5.米国戦略爆撃調査団報告書:「中島飛行機の地下工場 浅川」・「日本の航空機の地下生産 結論」

6.パンプレット:浅川地区 史跡・自然公園の実現を

7.金比羅山造成阻止と公園化の展望:高尾・浅川の自然を守る会

8.強制連行200人計画が判明 - 浅川地下トンネル・中島飛行機地下工場 中田均:西東京編ー異国に刻まれた怨念の史実、統一評論第357巻1995年3月に加筆・訂正

9.参考文献