父親の戦争体験
父の具体的な軍歴を示す資料が残っていた。結構解読が面倒だったので見るだけだった。しかし2019年『文藝春秋』(6月号)に村上春樹が父親との確執を彼の戦争体験を絡めて記載していた。
村上春樹が父親との確執を告白、いつか来る死を意識か|NEWSポストセブン
父の軍歴を改めて整理し理解することが必要であることを自覚し、資料を確認し電子的に記述し確認することにした。
この証明書は以下のような方法で入手できるようだ。
軍歴証明書を、年月日(西暦)・当時の年齢・軍歴と整理した。父親の生きてきた環境・背景を知るためには、元号表示を西暦に改めたほうが便利である。
実際の太平洋戦争については、具体的にはあまり考えなかったことがよく分かった。 父が初めて戦場に立ったのは20.5歳の時であろう。
1939/01/01・20.5歳:軍歴【泰安鎮着同日第二中隊編入】
南京事件は既に終わった時期である。
南京事件【1937(昭和12)年12月13日の南京陥落の翌日から6週間の間に、女・子供を含む南京市民や無抵抗な中国軍兵士の捕虜(国民党、現台湾政府軍)を含む約30万人が殺害されたとされる事件】
その後、以下のように21.3歳で国内に向かっている。ノモンハン事件は、国内に向かう前・現地滞在期間中に終了している。父親が初めて戦場に出たのはノモンハン事件だったといっていたことに対応する。
1939/10/26・21.3歳:軍歴【久留米陸軍予備士官学校に分遣のため泰安鎮出発】
ノモンハン事件:【1939年5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと】
国内教育機関である予備士官学校滞在も以下のように短い期間で終了、再び現地に戻っている。
1940/07/01・22歳:軍歴【集合教育のため久留米予備士官学校に入校中のところ卒業帰隊・見習士官を命じ曹長の階級に進む】
1940/07/15・22歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に転属】
1940/07/24・22.1歳:軍歴【宇品港出航】
1940/07/24・22.1歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて支那事変勤務に従事す:戦地戦務加算(40/07/24 - 41/04/30)】
1940/07/27・22.1歳:軍歴【上海港上陸】
その後再び国内に徴収初年兵を迎えに行き、彼らと共に第15師団・祭部隊としてインパール作戦に関わっている。
1942/01/24・23.6歳:軍歴【南京出発:昭和十六年度徴集初年兵受領員として内地出発のため・上海港出航・揚子江通過】
1942/02/27・23.7歳:軍歴【京都出発:初年兵引率帰隊のため】
1943/04/06・24.8歳:軍歴【第十五師団編制着手】
1943/04/20・24.8歳:軍歴【補輜重兵第十五連隊付・編制完結】
1943/04/20・24.8歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役支那方面勤務に従事す(43/04/20 - 43/09/17)】
1943/05/13・24.9歳:軍歴【移駐のため南京出発】
1943/05/14・24.9歳:軍歴【上海着・以後上海駐留】
1943/09/18・25.2歳:軍歴【緬甸(ビルマ)派遣のため上海(呉瀬?港)出発】
1944/01/02・25.5歳:軍歴【ウ号作戦(44/01/02 - 44/07/05)及び次期態勢移行のための作戦参加(44/07/06 - 44/09/12)】
インパール作戦(日本側作戦名:ウ号作戦)【1944年(昭和19年)3月に帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加した殆どの日本兵が死亡したため、現在では史上最悪の作戦と言われている】
【 高木俊朗著『憤死』(文春文庫 1988/06/10刊)を読む】との情報が以下にあったが、父はどのように感じていたのだろうか?父が亡くなったのは1995年(平成7年)10月7日77歳である。
http://www.sky.sannet.ne.jp/ken-abe/rondan-2016-04.html
ビルマ・インパール作戦を行った牟田口廉也第十五軍軍司令官の下で、祭第15師団(師団長・山内正文中将)は、山険かつ熱帯ジャングルの苛酷な戦場で苦闘し、三師団の中で最も多い死傷者を出した。
しかし、その評価は「弱い師団」といわれたことである。なぜそう呼ばれたのか。残された山内師団長の日記をベースに、山内師団長を補佐した参謀長岡田菊三郎少将から取材して、その視点から、牟田口軍司令官の罵詈雑言の督戦命令に振り回された祭第十五師団将兵の戦いを描いた高木俊朗の「インパール」シリーズ第4作である。単行本は昭和44年(1969年)、戦後24年、ほぼ四半世紀を経て出版された。文庫本の出版は、昭和63年(1988年)、昭和の時代が終わりとなるほぼ半年前であった。
以下が全ての軍歴である。整理に当たって、軍歴の経過を示す年月日(元号)では他の事件、当時の年齢と照合させにくいため、年月日(西暦)・当時の年齢・軍歴のように列挙・整理した。
1938/12/10・20.4歳:軍歴【現役兵として輜重兵第一連隊留守隊に入営】
1938/12/10・20.4歳:軍歴【【級等】輜重兵二等兵】
1938/12/22・20.5歳:軍歴【満洲派遣要員として東京出発】
1938/12/24・20.5歳:軍歴【神戸着同日神戸港出航】
1938/12/29・20.5歳:軍歴【大連港上陸/同日関東州境通過】
1939/01/01・20.5歳:軍歴【泰安鎮着同日第二中隊編入】
1939/05/01・20.8歳:軍歴【輜重兵科幹部候補生を命じ輜重兵一等兵階級を興う】
1939/07/01・21歳:軍歴【上等兵階級に進む】
1939/09/20・21.2歳:軍歴【甲種幹部候補生を命ず】
1939/10/26・21.3歳:軍歴【久留米陸軍予備士官学校に分遣のため泰安鎮出発】
1939/11/01・21.3歳:軍歴【輜重兵伍長階級に進む】
1940/04/29・21.8歳:軍歴【支那事変従軍記章授与】
1940/07/01・22歳:軍歴【集合教育のため久留米予備士官学校に入校中のところ卒業帰隊・見習士官を命じ曹長の階級に進む】
1940/07/15・22歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に転属】
1940/07/24・22.1歳:軍歴【宇品港出航】
1940/07/24・22.1歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて支那事変勤務に従事す:戦地戦務加算(40/07/24 - 41/04/30)】
1940/07/27・22.1歳:軍歴【上海港上陸】
1940/07/28・22.1歳:軍歴【南京着】
1940/10/31・22.3歳:軍歴【甲種幹部候補生の修業期間を終了】
1940/11/01・22.3歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に臨時招集・輜重兵第十五連隊附(聯隊附開始】
1940/11/01・22.3歳:軍歴【漢水作戦参加(40/11/01-40/11/29)】
1940/11/01・22.3歳:軍歴【【級等】少尉】
1940/11/30・22.4歳:軍歴【漢口附近の警備(40/11/30 - 41/01/18)】
1941/01/19・22.6歳:軍歴【予南作戦参加(41/01/19 - 41/02/28)】
1941/03/01・22.7歳:軍歴【漢口附近警備及び南京帰還輸送(41/03/01 - 41/03/12)】
1941/03/13・22.7歳:軍歴【巣湖南方作戦参加(41/03/13 - 41/04/04)】
1941/05/01・22.8歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて支那事変勤務・大東亜戦役支那方面勤務に従事す(41/05/01 - 43/04/30)】
1941/06/22・23歳:軍歴【軍令陸甲第十五号に依り編制改正】
1941/06/25・23歳:軍歴【編制完結・輜重兵第十五連隊付】
1941/09/25・23.2歳:軍歴【江浦作戦参加(41/09/25 - 41/10/04)】
1941/12/17・23.5歳:軍歴【皖浙作戦(多分安徽省・浙江省方面の作戦か?もう少し小さい地名かも。調べればわかるね)参加(41/12/17 - 41/12/31)】
1942/01/24・23.6歳:軍歴【南京出発:昭和十六年度徴集初年兵受領員として内地出発のため・上海港出航・揚子江通過】
1942/01/27・23.6歳:軍歴【長崎上陸】
1942/01/28・23.6歳:軍歴【京都着】
1942/02/27・23.7歳:軍歴【京都出発:初年兵引率帰隊のため】
1942/02/28・23.7歳:軍歴【門司港出航】
1942/03/03・23.7歳:軍歴【揚子江通過】
1942/03/04・23.7歳:軍歴【南京港上陸・帰隊】
1942/8/20・24.1歳:軍歴【【級等】中尉】
1943/03/13・24.7歳:軍歴【軍令陸甲第二十二号に依り編制改正下令】
1943/04/06・24.8歳:軍歴【第十五師団編制着手】
1943/04/20・24.8歳:軍歴【補輜重兵第十五連隊付・編制完結】
1943/04/20・24.8歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役支那方面勤務に従事す(43/04/20 - 43/09/17)】
1943/05/13・24.9歳:軍歴【移駐のため南京出発】
1943/05/14・24.9歳:軍歴【上海着・以後上海駐留】
1943/09/18・25.2歳:軍歴【緬甸(ビルマ)派遣のため上海(呉瀬?港)出発】
1943/09/30・25.2歳:軍歴【一等給下賜】
1943/10/02・25.3歳:軍歴【仏印西貢(サイゴンのこと。今のホーチミンシティ)上陸】
1943/10/06・25.3歳:軍歴【仏印西貢(サイゴンのこと。今のホーチミンシティ)発・メコン河口通過】
1943/10/06・25.3歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役泰国(タイ)方面勤務に従事す(43/10/06 - 44/01/01)】
1943/10/09・25.3歳:軍歴【盤谷(バンコク)着】
1943/12/13・25.5歳:軍歴【ランパーン着】
1943/12/19・25.5歳:軍歴【ランパーン出発】
1944/01/02・25.5歳:軍歴【緬甸ビルマ国境(カサイ)通過・ケントン着】
1944/01/02・25.5歳:軍歴【ウ号作戦(44/01/02 - 44/07/05)及び次期態勢移行のための作戦参加(44/07/06 - 44/09/12)】
1944/01/02・25.5歳:軍歴【輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役緬甸ビルマ方面勤務に従事す(44/01/02 - 45/08/06)】
1944/03/05・25.7歳:軍歴【ケントン出発】
1944/04/21・25.8歳:軍歴【印緬国境(フミネ)通過】
1944/07/16・26歳:軍歴【転進のため印緬国境(フミネ)通過】
1944/09/13・26.2歳:軍歴【磐作戦参加(44/09/13 - 45/01/16)】
1944/09/14・26.2歳:軍歴【緬甸ピンレグ着】
1944/12/05・26.4歳:軍歴【緬甸ピンレグ発・昭和19年軍令陸甲第一四〇号に依り編制改正下令】
1944/12/11・26.4歳:軍歴【編制着手】
1944/12/17・26.5歳:軍歴【編制完結・補輜重兵第十五連隊付】
1945/01/17・26.6歳:軍歴【イラワジ河畔の会戦並びにメークテーラ附近の会戦に参加(45/01/17 - 45/04/12)】
1945/04/13・26.8歳:軍歴【克作戦参加(45/04/13 - 45/05/30)】
1945/05/31・26.9歳:軍歴【後期克作戦参加(45/05/31 - 45/07/31)】
1945/08/07・27.1歳:軍歴【泰緬国境(ニーケ)通過】
1945/08/09・27.1歳:軍歴【泰国バンポン着】
1945/8/20・27.1歳:軍歴【【級等】大尉】
1946/05/07・27.9歳:軍歴【バンポン出発】
1946/05/14・27.9歳:軍歴【磐谷着】
1946/05/25・27.9歳:軍歴【磐谷(バンコク)出航】
・28歳:軍歴【浦賀上陸】
・28歳:軍歴【復員完結・予備役編入】
軍歴を表形式で表示した。
年月日 | 年_元号 | 月 | 対象者年齢 | 詳細 |
---|---|---|---|---|
38/12/10 (土) | S13 | 12 | 20.4 | 現役兵として輜重兵第一連隊留守隊に入営 |
38/12/10 (土) | S13 | 12 | 20.4 | 【級等】輜重兵二等兵 |
38/12/22 (木) | S13 | 12 | 20.5 | 満洲派遣要員として東京出発 |
38/12/24 (土) | S13 | 12 | 20.5 | 神戸着同日神戸港出航 |
38/12/29 (木) | S13 | 12 | 20.5 | 大連港上陸/同日関東州境通過 |
39/01/01 (日) | S14 | 1 | 20.5 | 泰安鎮着同日第二中隊編入 |
39/05/01 (月) | S14 | 5 | 20.8 | 輜重兵科幹部候補生を命じ輜重兵一等兵階級を興う |
39/07/01 (土) | S14 | 7 | 21.0 | 上等兵階級に進む |
39/09/20 (水) | S14 | 9 | 21.2 | 甲種幹部候補生を命ず |
39/10/26 (木) | S14 | 10 | 21.3 | 久留米陸軍予備士官学校に分遣のため泰安鎮出発 |
39/11/01 (水) | S14 | 11 | 21.3 | 輜重兵伍長階級に進む |
40/04/29 (月) | S15 | 4 | 21.8 | 支那事変従軍記章授与 |
40/07/01 (月) | S15 | 7 | 22.0 | 集合教育のため久留米予備士官学校に入校中のところ卒業帰隊・見習士官を命じ曹長の階級に進む |
40/07/15 (月) | S15 | 7 | 22.0 | 輜重兵第十五連隊に転属 |
40/07/24 (水) | S15 | 7 | 22.1 | 宇品港出航 |
40/07/24 (水) | S15 | 7 | 22.1 | 輜重兵第十五連隊に在りて支那事変勤務に従事す:戦地戦務加算(40/07/24 - 41/04/30) |
40/07/27 (土) | S15 | 7 | 22.1 | 上海港上陸 |
40/07/28 (日) | S15 | 7 | 22.1 | 南京着 |
40/10/31 (木) | S15 | 10 | 22.3 | 甲種幹部候補生の修業期間を終了 |
40/11/01 (金) | S15 | 11 | 22.3 | 輜重兵第十五連隊に臨時招集・輜重兵第十五連隊附(聯隊附の続きは、多分「被仰付」(おおせられるにつき))・南京付近の警備開始 |
40/11/01 (金) | S15 | 11 | 22.3 | 漢水作戦参加(40/11/01-40/11/29) |
40/11/01 (金) | S15 | 11 | 22.3 | 【級等】少尉 |
40/11/30 (土) | S15 | 11 | 22.4 | 漢口附近の警備(40/11/30 - 41/01/18) |
41/01/19 (日) | S16 | 1 | 22.6 | 予南作戦参加(41/01/19 - 41/02/28) |
41/03/01 (土) | S16 | 3 | 22.7 | 漢口附近警備及び南京帰還輸送(41/03/01 - 41/03/12) |
41/03/13 (木) | S16 | 3 | 22.7 | 巣湖南方作戦参加(41/03/13 - 41/04/04) |
41/05/01 (木) | S16 | 5 | 22.8 | 輜重兵第十五連隊に在りて支那事変勤務・大東亜戦役支那方面勤務に従事す(41/05/01 - 43/04/30) |
41/06/22 (日) | S16 | 6 | 23.0 | 軍令陸甲第十五号に依り編制改正 |
41/06/25 (水) | S16 | 6 | 23.0 | 編制完結・輜重兵第十五連隊付 |
41/09/25 (木) | S16 | 9 | 23.2 | 江浦作戦参加(41/09/25 - 41/10/04) |
41/12/17 (水) | S16 | 12 | 23.5 | 皖浙作戦(多分安徽省・浙江省方面の作戦か?もう少し小さい地名かも。調べればわかるね)参加(41/12/17 - 41/12/31) |
42/01/24 (土) | S17 | 1 | 23.6 | 南京出発:昭和十六年度徴集初年兵受領員として内地出発のため・上海港出航・揚子江通過 |
42/01/27 (火) | S17 | 1 | 23.6 | 長崎上陸 |
42/01/28 (水) | S17 | 1 | 23.6 | 京都着 |
42/02/27 (金) | S17 | 2 | 23.7 | 京都出発:初年兵引率帰隊のため |
42/02/28 (土) | S17 | 2 | 23.7 | 門司港出航 |
42/03/03 (火) | S17 | 3 | 23.7 | 揚子江通過 |
42/03/04 (水) | S17 | 3 | 23.7 | 南京港上陸・帰隊 |
42/08/20 (木) | S17 | 8 | 24.1 | 【級等】中尉 |
43/03/13 (土) | S18 | 3 | 24.7 | 軍令陸甲第二十二号に依り編制改正下令 |
43/04/06 (火) | S18 | 4 | 24.8 | 第十五師団編制着手 |
43/04/20 (火) | S18 | 4 | 24.8 | 補輜重兵第十五連隊付・編制完結 |
43/04/20 (火) | S18 | 4 | 24.8 | 輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役支那方面勤務に従事す(43/04/20 - 43/09/17) |
43/05/13 (木) | S18 | 5 | 24.9 | 移駐のため南京出発 |
43/05/14 (金) | S18 | 5 | 24.9 | 上海着・以後上海駐留 |
43/09/18 (土) | S18 | 9 | 25.2 | 緬甸(ビルマ)派遣のため上海(呉瀬?港)出発 |
43/09/30 (木) | S18 | 9 | 25.2 | 一等給下賜 |
43/10/02 (土) | S18 | 10 | 25.3 | 仏印西貢(サイゴンのこと。今のホーチミンシティ)上陸 |
43/10/06 (水) | S18 | 10 | 25.3 | 仏印西貢(サイゴンのこと。今のホーチミンシティ)発・メコン河口通過 |
43/10/06 (水) | S18 | 10 | 25.3 | 輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役泰国(タイ)方面勤務に従事す(43/10/06 - 44/01/01) |
43/10/09 (土) | S18 | 10 | 25.3 | 盤谷(バンコク)着 |
43/12/13 (月) | S18 | 12 | 25.5 | ランパーン着 |
43/12/19 (日) | S18 | 12 | 25.5 | ランパーン出発 |
44/01/02 (日) | S19 | 1 | 25.5 | 緬甸ビルマ国境(カサイ)通過・ケントン着 |
44/01/02 (日) | S19 | 1 | 25.5 | ウ号作戦(44/01/02 - 44/07/05)及び次期態勢移行のための作戦参加(44/07/06 - 44/09/12) |
44/01/02 (日) | S20 | 1 | 25.5 | 輜重兵第十五連隊に在りて大東亜戦役緬甸ビルマ方面勤務に従事す(44/01/02 - 45/08/06) |
44/03/05 (日) | S19 | 3 | 25.7 | ケントン出発 |
44/04/21 (金) | S19 | 4 | 25.8 | 印緬国境(フミネ)通過 |
44/07/16 (日) | S19 | 7 | 26.0 | 転進のため印緬国境(フミネ)通過 |
44/09/13 (水) | S19 | 9 | 26.2 | 磐作戦参加(44/09/13 - 45/01/16) |
44/09/14 (木) | S19 | 9 | 26.2 | 緬甸ピンレグ着 |
44/12/05 (火) | S19 | 12 | 26.4 | 緬甸ピンレグ発・昭和19年軍令陸甲第一四〇号に依り編制改正下令 |
44/12/11 (月) | S19 | 12 | 26.4 | 編制着手 |
44/12/17 (日) | S19 | 12 | 26.5 | 編制完結・補輜重兵第十五連隊付 |
45/01/17 (水) | S20 | 1 | 26.6 | イラワジ河畔の会戦並びにメークテーラ附近の会戦に参加(45/01/17 - 45/04/12) |
45/04/13 (金) | S20 | 4 | 26.8 | 克作戦参加(45/04/13 - 45/05/30) |
45/05/31 (木) | S20 | 5 | 26.9 | 後期克作戦参加(45/05/31 - 45/07/31) |
45/08/07 (火) | S20 | 8 | 27.1 | 泰緬国境(ニーケ)通過 |
45/08/09 (木) | S20 | 8 | 27.1 | 泰国バンポン着 |
45/08/20 (月) | S20 | 8 | 27.1 | 【級等】大尉 |
46/05/07 (火) | S21 | 5 | 27.9 | バンポン出発 |
46/05/14 (火) | S21 | 5 | 27.9 | 磐谷着 |
46/05/25 (土) | S21 | 5 | 27.9 | 磐谷(バンコク)出航 |
S21 | 6 | 28.0 | 浦賀上陸 | |
S21 | 6 | 28.0 | 復員完結・予備役編入 |
以下が軍歴証明書である。氏名などの個人を特定できる部分には付箋を配置した。