LED:リモコンの作動確認

リモコンの作動確認

新しく購入したLEDシーリングライトのリモコンが作動しない様だったので、クレーム処理、新規リモコンが届き作動確認した。購入経過を含めてメモとして残しておくこととした。

自宅の照明・シーリングライトを蛍光灯からLEDに代えることにした。

従来のシーリングライトは以下の4台を利用した。

●Panosonic*3:HFA7625 85W/6-10畳(27,562‐62,640円), 直径約66×高さ約8.0
蛍光灯(電球色)85W 6~10畳 ソフトターン方式 カチットF 85形ツインパルックプレミア蛍光灯1灯(電球色) 幅φ658・高98・重3.1kg 高拡散クリーンアクリルカバー乳白・模様入り 木製(グレイッシュブラウン仕上) ダークシルバー飾り 低誘虫UVカット仕様、壁スイッチ切替(全灯→段調光→LED)、調光用リモコン送信器別売:蛍100%~10%・LED調光可能 消費効率107.8lm/W(7980lm・74W) ランプ:FHD85EL/H、光色変更品番 (光)HFA7625N(昼白色) ツインPa プルレスR 明るさフリー10

 ●Panosonic*1:HAA7100KC(34形+20形)丸形スリム蛍光灯(3波長形昼白色)(高出力点灯48W+28W)、畳数:6~8畳、幅φ600・高98・重2.3kg, 壁スイッチ切替(全灯→段調光→豆球)/ランプ:FHC34ENW FHC20ENW、高拡散クリーンアクリルカバー(乳白)、低誘虫UVカット仕様、全光束:6430 lm、省エネ法基準達成率:113、消費電力:70 W、消費効率:91.9 lm/W

とりあえず試験的に高性能・安価な製品を選択してみた。

●ビームテック :商品コードCL-YD12CD-Ring5年保証・12畳 調光調色 LEDシーリングライト・ウッドフレーム当店通常価格 7,027円 (税込 7,589 円)・直径約45×高さ約9.3・定格電圧(周波数):AC100V (50/60Hz)消費電力(最大):約54W・(最小):約5.5W、待機電力:約0.2W・色温度:電球色↔昼白色、器具光束:電球色↔昼白色 (最大点灯時5,800lm)連続調光:LED(100%~約10% 13段階調光)、連続調色:LED(電球色↔昼白色 13段階調色)、常夜灯:2段階調光タイマー:おやすみタイマー(10分、30分、60分)、演色性:Ra83以上、重量:1.4kg, 材質:ポリプロピレン、鋼板、材質:PC(木目調プリント)、5年間製品保証、定格寿命40,000時間以上

【楽天市場】5年保証 シーリングライト 12畳 8畳 LED 調光調色 LEDシーリングライト 木枠 木目 ウッドフレーム リモコン 照明器具 和室 寝室 おしゃれ 直付け 北欧 ダイニング用 リビング用 居間用 インテリア CL-YD12CD-Ring ビームテック:ビームテック

なお調色・調光については以下の意見があった。

調色などの機能を備えた製品はとても高価になっています。調色などの高機能は要らないとして簡単なシステムで安価になれば採用価値は高まります。無駄に明るい場所は、調光システムで適正な明るさに。調光システムを導入すると消費電力が一段と下がり費用対効果の回収も早まります。副産物として、寿命も延びます。

LED照明の明るさについて|蛍光灯型|水銀灯型

1台購入することとし、ネットで発注した。経過は、

2018年7月23日(月)発注、当日ゆうパック発送、25日(水)受領。

受領後早速取りつけたが、リモコンによる作動が確認できない。

リモコンの発信についてはデジカメで確認できることを思い出し、とりあえず他のリモコンを含めて準備した。写真左から、今回対象のリモコン、別のシーリングライト用リモコン、テレビリモコン。

f:id:kichichan:20180730111403j:plain

iphoneを利用し3つのリモコンの発信状況をカメラを通して比べてみたが、はっきりと確認できない。以前しっかりと確認できた経験があるので、デジカメで再度確認した。他のリモコンの発信状況はよく確認できたが、明らかに受領したリモコンからは発信されていないことがわかった。発信時の写真を撮るより点滅する動画の方が判りやすいと考え、各動画を含めて不具合を26日(木)に連絡しすると早速代替品を発送するとの回答があった。経過は

2018年7月26日(木)連絡、同日ゆうパック発送、29日(日)受領。

受領後、新たなリモコンの正常作動を確認した。あらためてiphoneでは確認できなかったことが気になる。iphoneについて調べると、インカメラのみ有効だそうだ。kosukety.org

一般のデジカメとiPhoneでは確認できる波長が異なっていることは初めて知った。

 

せっかくなので新しいリモコンの作動状況も含め、動画を取り纏め確認できるようにした。

動画の編集と説明文の挿入には、iPhoneを利用し以下のアプリ(無料)を利用した。わかりやすいアプリで、お勧めだ。

 

「俺の編集 - 動画を編集しよう!」をApp Storeで

「俺の字幕動画 - 動画に字幕を入れよう!」をApp Storeで

 

最終的に以下のような一本の動画に取りまとめた。

www.yout

最初の2秒間は作動しないリモコン、次は現在利用中のシーリングライトのリモコン、テレビリモコン、最後は新たに送られてきたリモコン。作動状況がよく確認できた。

今回いろいろ戸惑うこともあったが、メモとして残し、これからの活用をさらに洗練していきたい。

時代の目標・日本:敗戦後の国際社会への復帰

日本の高度成長期、そしてバブル崩壊に至った後、日本では時代の目標が見えにくくなっている気がする。逆に過去に時代の目標を大きく意識した・せざるを得なかった時代は明治でしょう。

江戸から明治時代に至る過程での時代の目標は、開国後の国際社会で覇権国家の一員として認められるということでしょう。

江戸時代鎖国政策を続けてきた日本は、開国を迫られた。開国にあわせて国内体制を見直し、英米を見習って富国強兵に努め、新たなエネルギーなどを国内に導入したのが明治時代といえるでしょう。ちなみに司馬遼太郎は、江戸時代から明治にかけて日本が変わっていく時代を小説で紹介しました。

明治時代から整備していった支配体制を敗戦によって失いました。

敗戦までの経過は以下のようなものかと思います。

1945年3月10日:東京大空襲/一夜で東京の40%が焼失/約10万人が死亡
1945年7月:アメリカ・イギリス・ソ連の首脳は、ポツダム会談を開く。
1945年8月: 広島(6日)と長崎(9日)に原爆が落とされる。ポツダム宣言を受諾して降伏(14日)、天皇のラジオ放送で終戦を発表(15日=終戦記念日)

その後国際社会に再び認められ受け入れられることをいろいろな側面で努力したわけです。国際社会復帰の過程で日本人は徐々に自信を回復していきました。個人にとっても、その過程の一翼を担う・参画することが分かりやすい目標となります。その過程の一端はNHKプロジェクトXとして放映され様々な人々が熱狂したものです。

ここで南極観測を取り上げてみましょう。当然南極観測も、ある意味時代の目標の一端として開始されました。経過を以下に記載しましょう。(南極観測・世界の共同観測)

以下直接南極観測とかかわりのある事項については赤字で記載します。

1949年:湯川秀樹日本人として初めてノーベル賞を受賞/1935年に理論的に予言した中間子の存在が、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより実証されたことによって、理論の正しさが証明された。

1951年:サンフランシスコ講和条約署名(9月8日)

1952年:日本国際連合に加盟申請、冷戦の最中で、ソ連など社会主義諸国の反対

1955年:国際地球観測年・日本も南極観測参加の意思表明、敗戦直後ということから他国の反発があり、「資格なし」とされた。白瀬隊の実績を挙げて「資格あり」と反論、最終日になんとか認められた。

1956年:永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)がその創始、のちに第1次南極地域観測隊と呼称が変更された。当初は2次で終了する予定であったがその後延長された

1956年:日本隊マナスル初登頂(5月9日)/この成功は戦後の日本登山界に画期的な影響があり、空前絶後の登山ブームを巻き起こすなど社会現象になった。

1956年:日ソ共同宣言/ソ連との国交回復(10月)、国際連合に加盟(12月18日)の総会における全会一致の承認でもって80番目の加盟国として国際連合加盟

1959年:12か国による南極条約に署名

 上記の白瀬隊は、明治時代に日本人として初めて南極観測を行った人物:白瀬矗が率いた南極探検隊です。くしくも同時期に、ノルウェーアムンゼン、イギリス・スコットが南極点を目指していました。白瀬矗は明治45年(1912年)1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と命名、スコットが南極点に到達したのは、ちょうどこの翌日です。同地は上陸、探検に不向きであったため、再び開南丸でロス棚氷・クジラ湾に向かうことになりました。クジラ湾内では、南極点初到達から帰還するロアール・アムンセンの探検隊を収容するために来航していたフラム号と遭遇、限られた形ながら接触している(WikiPediaによる)。

時代の目標への共感:卒業式のスピーチから感じるもの

アメリカの大学の卒業式では、卒業生への祝辞として今後の人生について語る役割が社会人に与えられる。

亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残している。中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」のフレーズはあまりにも有名である。

https://www.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ

 

 

マーク・ザッカーバーグハーバード大で「人生に目的が必要なわけ」そして、「自身の目的を持つだけでは不十分、他者のために目的意識を生まなければなりません」と語った。

https://www.youtube.com/watch?v=nFaCasVBvD8

www.youtube.com

他者と共有する目的をマーク・ザッカーバーグ「世代の課題」と評し、共有する目的も時代によって変化することを強調している。

 「いったい何がしたいのか自分でもわからない」。それでも全然構わない。なんとなく興味が持てることをしよう。とりあえずお金になりそうなことをしよう。そして、その仕事に全力を尽くそう。全力で取り組んでいれば、スキルが自然と身についてくる。それは小さな成長かもしれないが、仕事に取り組むモチベーションになるだろう。

やればやるほど、スキルは上がる。そして気がつけば、誰も真似できない高度な専門性が身についているだろう。そしていつしか気付く。好きなことを仕事にしたのではなく、仕事を好きになるまで育て上げたのだということに。

時代の目標は遅れて認識されるかもしれない。最初に目標を認識できる人間は、「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」として全力で取り組む、変人扱いされる・社会から容認されにくい部分もあるが、自分で「とりあえずお金になる」(最低限、他者に作業目的・内容を説明できる)ことを確認しておこう。

介護作業の合理化

介護士の作業が被介護者の家族などが十分見えてこない・十分見せるためには付随する作業が大きいなどの状況がある気がする。

介護士の作業は被介護者をトイレ・風呂に連れていったり、夜中に3時間ごとに安否確認したり、 朝の体温チェック 、食事状況確認などだ。これを自宅介護で行おうとすると介護者の個人的負担は過度すぎる。

介護人は、対応被介護人・実施場所・実施作業項目はほとんどルーチンな場合が多いものの、時には個別の対応が重要なことも多いのは当然でしょう。自宅では共同実施者が得られずルーチン作業が難しい。

施設でのルーチン作業については、介護人が各介護情報を共有しながら適宜実施するものでしょう。作業時に人・場所・作業などをコード化しQRコードで読み込ませ、確認状況も星の数などで規格化し、体温などの数値と必要な場合のコメントのみ入力してもらえば済ませればいいように感じた。現在短文などをスマホ入力で行うことが多い状況では、介護士が作業しながら行える環境は、作業の合理化につながると感じたところである。

母親の居た介護施設では、介護士は介護メモを自分でメモ帳やスマホに記載し、食事をしながらの自由時間などに、PCや取り纏め書類などに記載している状況が見受けられた。

 現場の報告事項の作成は短時間で済み、管理者は問題点のみまた被介護者の家族との会合時などには被介護者で検索し、介護士の行った作業を確認できるなど、情報収集の合理化を推し進めるべきであろう。

施設での情報の共有化で検索すると「介護記録に、何をどう記載したら良いか悩んだら「5W1H」の流れに従い、文章を組み立てるようにしましょう」と記載されている。この作業の「5W1H」をできるだけQRコードなどで規格化したものを活用していければ合理化が大きく前進する。

具体的な情報を確認すると以下のような提案がある。連携して進めていくことを期待したい。

多くのケアサービス利用者は、複数のケアサービス(訪問介護通所介護など)を利用していますが、これまでのシステムでは、記録はバラバラでした。ケアコラボは、さまざまなサービスの記録を、タイムラインで統合して表示します。サービス単位の記録ではなく、ケアサービスを利用する「人」が中心のシステムです。ほかのケアスタッフや利用者の家族からのコメントや「いいね!」などのレスポンス機能もあり、みんなでささえるケアの実現をサポートします。

page.carecollabo.jp

 

 

 

介護保険からの支出:在宅介護・施設介護

母親は、身体が衰えてきてから適宜介護保健を利用していた。経過は以下に整理している。

http://kichichan.hatenablog.com/entry/2017/09/26/213915

介護保険の利用状況については妹に任せっきりであった。介護支出について適宜連絡が来ていたが、必ずしも連続した資料ではなく実感も伴わなかった。平成14年80歳の時に介護認定を受けたが、実際の利用は主にデイサービスであった。その後平成19年の肺炎入院その後の老健でのリハビリ、さらには自宅介護、徐々に圧迫骨折での痛みの増加に伴い平成20年からヘルパー支援・在宅介護、平成24年に肺炎入院、その後の施設介護を中心にした生活が始まり最後に施設での看取り介護を迎えた。

家に残された資料から確認できた年については介護サービス費の月平均としてグラフ化してみた。亡くなる前の4年間は、特別養護老人ホームを利用した施設生活この間、介護度が3から4、最後は5に上昇した。最後の2年間で大きく費用が増加したのは、介護保険・負担限度額認定に預貯金の判定が加わったためであろう。初年度に預貯金総額が、次年度にさらに非課税所得である遺族年金も認定要件に加えられた。確かに被介護者本人の預貯金や所得総額が介護保健支出金額に反映されるのは、必ずしも潤沢ではない介護保健にとって妥当な立場であろう。

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一方平成23年までの自宅介護状況ではヘルパーによる生活支援を加えたものの当然のことながら介護保険利用料が抑制されている。本人もできるだけ自由が確保されるという意味で在宅介護環境の整備が重要であった気がする。

介護を社会化し個人的な負担の解消

今後介護は団塊の世代が80歳を迎えたとき、その子供たちが50歳で社会の中核となっている。したがって、個人が抱え込むことになると、社会への影響が大きいことが指摘されている。実際、母親の介護については、精神的・時間的に負担が多かった気がする。介護休暇制度ができた時、被介護者が亡くなるまで負担が多くなれ減ることがない介護についての休暇の意義について疑問を感じていた。しかし以下の本を読んで認識を改めた。

日本の人事を科学する 因果推論に基づくデータ活用

すなわち、介護休暇は介護に専念するための制度ではなく、仕事と介護の両立のための準備を行う制度と捉えるべきであると強調していた。親の介護認定の取得、同居などに備えた段差解消などのための住宅改修、介護認定後にケアマネージャの選定・介護計画の策定などを行い、介護者が介護環境を整備する期間であると説明していた。介護保険制度によって介護と勤務が両立することを支援する仕組みであることを初めて認識した。介護作業に必要な資金も具体的には被介護者が支出すべきであり、その準備が整っているか具体的に確認すべきである。

同書に、要介護者認定数(厚生労働省介護保険事業状況報告」)および要支援・要介護者/被保険者比率(「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳に基づく)が記載されていた。男女年齢別の介護認定者割合からは、80歳以上の要介護者の増加また90歳以上の女性の要介護者多さが顕著であることが示されている。すなわち80歳以上になると女の方が若干の障害を負いながら長く生きていくということかもしれない。80才から徐々に介護度が進行した母親の例は特別なものではことが理解できた。

年齢幅/要支援・要介護者/被保険者比率% 男(女)
年齢幅/比率% 男(女)
65-69/03.6 (03.4)
70-74/07.2 (06.4)
75-79/12.7 (14.7)
80-84/27.6 (30.1)
85-89/43.7 (52.4)
90-    /54.7 (72.5)

出典:厚生労働省介護保険事業状況報告」要介護者認定数および「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳

ちなみに近所に暮らす92歳の高齢者は娘さんと二人暮しだ。昼間仕事に出ている娘さんは、父親に介護認定を受けるように勧めも拒否しているそうだ。時々姿をもかけるが、腰が曲がってしまっているものの一人でゆっくりした足取りで歩いている。同年齢の半数弱の人が介護認定を受けずに暮らしているので、そのまま元気に暮してほしいものだ。一方万一介護が必要になった時には介助責任者は介護休暇で対応することになるが、十分な情報の提供など受ける側を含め理解が重要だと感じた。

母親の今までの生活_70歳以降の衰え

母親は、父親が亡くなった74歳から96歳までの22年間一人で暮らしたことになる。仕事がら、海外勤務・海外出張も多かったが、国内では同居、また最後に近隣の介護施設に入っていた略5年半の期間もしばしば施設を訪れ、帰ってこられる家の管理を行っていたからであろう。また両親の老後を考慮した自宅の新築に当たっては、老後を両親の問題としてとらえこちらは主に支援する立場を取ったため、母親に面と向かうことがなかったことかもしれない。一方新築の自宅完成後1年未満で父親が亡くなった。自宅を新築した後の母親の健康状況を以下に確認した。

母親は自営業で生計をたてていたが、50歳以降山登りなどに精を出し自他共に健康を楽しんでいた。しかしさすがに80歳近くになると急激に体に変調をきたしていくことがよく理解できる。最初に寝込んだのは、79歳の時下顎を骨折した時だった。玄関のチャイムが鳴って急いで出る時に躓き、手が出ずに顎を打ったそうだ。年相応にチャイムに落ち着いて対応していいんだという考え方にシフトしてなかったような気がする。チャイム自体が自宅新築時の73歳で初めて設置したもので運用に慣れていなかった可能性もある。

 

1994(H06)/11:73才:自宅新築・高齢化対応(長男と同居)
1995(H07)/01:73才:(神戸震災)
1995(H07)/10:74才:夫死亡
1998(H10)/07:77才:富士登山
2000(H12)/03:79才:海外個人旅行・9月にも有
2000(H12)/11:79才:下あご躓き骨折
2001(H13)/06:80才:右目白内障手術
2001(H13)/11:80才:自宅単身生活開始(長男:国外出張)
2002(H14)/01:80才:脊髄圧迫骨折、介護保険認定/要支援・利用開始
2002(H14)/03:81才:デイサービス利用開始
2003(H15)/02:82才:介護保険認定/要介護1
2003(H15)/03:82才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2003(H15)/08:82才:左目白内障手術
2005(H17)/11:84才:自宅単身生活再開(長男:国外出張)
2007(H19)/03:86才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2007(H19)/08:86才:肺炎入院
2007(H19)/10:86才:介護保険認定/要介護3 老健利用リハビリ生活開始(6か月)
2008(H20)/04:87才:介護保険認定/要介護2 自宅トイレ改修・介護ベッド動線上に引き戸設置
2008(H20)/05:87才:自宅介護生活開始/車椅子利用(4年)、デイサービス利用再開、在宅生活支援サービス利用開始、介護ベッドなど借用開始
2009(H21)/11:88才:右目白内障再手術
2011(H23)/03:90才:(東北震災)
2012(H24)/04:91才:肺炎入院 介護保険認定/要介護3
2012(H24)/05:91才:ショートステイ利用介護生活開始(4か月)
2012(H24)/09:91才:老健利用介護生活開始(1年)
2013(H25)/09:92才:特養利用介護生活開始(4年)
2015(H27)/04:94才:介護保険認定/要介護4
2017(H27)/04:96才:介護保険認定/要介護5
2017(H29)/05:96才:死亡

 

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 ところで、81歳で要支援・82歳から要介護1となり95歳で要介護5で亡くなったことを、一般的に平均健康寿命(男性71.19歳、女性74.21歳)・平均寿命(男性80.98歳、女性87.14歳)から計算できる女性の平均介護対象期間:12.93年を参考にすれば、健康だった期間は長いが、被介護期間15年と苦労した期間も多い。

一方、特養利用の介護生活4年は、厚生労働省資料の介護老人福祉施設の入所者の平均在所期間約4年と同じである。これは介護期間の多くを自宅で過ごせ幸せだったと考えるべきかもしれない。