介護保険からの支出:在宅介護・施設介護

母親は、身体が衰えてきてから適宜介護保健を利用していた。経過は以下に整理している。

http://kichichan.hatenablog.com/entry/2017/09/26/213915

介護保険の利用状況については妹に任せっきりであった。介護支出について適宜連絡が来ていたが、必ずしも連続した資料ではなく実感も伴わなかった。平成14年80歳の時に介護認定を受けたが、実際の利用は主にデイサービスであった。その後平成19年の肺炎入院その後の老健でのリハビリ、さらには自宅介護、徐々に圧迫骨折での痛みの増加に伴い平成20年からヘルパー支援・在宅介護、平成24年に肺炎入院、その後の施設介護を中心にした生活が始まり最後に施設での看取り介護を迎えた。

家に残された資料から確認できた年については介護サービス費の月平均としてグラフ化してみた。亡くなる前の4年間は、特別養護老人ホームを利用した施設生活この間、介護度が3から4、最後は5に上昇した。最後の2年間で大きく費用が増加したのは、介護保険・負担限度額認定に預貯金の判定が加わったためであろう。初年度に預貯金総額が、次年度にさらに非課税所得である遺族年金も認定要件に加えられた。確かに被介護者本人の預貯金や所得総額が介護保健支出金額に反映されるのは、必ずしも潤沢ではない介護保健にとって妥当な立場であろう。

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一方平成23年までの自宅介護状況ではヘルパーによる生活支援を加えたものの当然のことながら介護保険利用料が抑制されている。本人もできるだけ自由が確保されるという意味で在宅介護環境の整備が重要であった気がする。

介護を社会化し個人的な負担の解消

今後介護は団塊の世代が80歳を迎えたとき、その子供たちが50歳で社会の中核となっている。したがって、個人が抱え込むことになると、社会への影響が大きいことが指摘されている。実際、母親の介護については、精神的・時間的に負担が多かった気がする。介護休暇制度ができた時、被介護者が亡くなるまで負担が多くなれ減ることがない介護についての休暇の意義について疑問を感じていた。しかし以下の本を読んで認識を改めた。

日本の人事を科学する 因果推論に基づくデータ活用

すなわち、介護休暇は介護に専念するための制度ではなく、仕事と介護の両立のための準備を行う制度と捉えるべきであると強調していた。親の介護認定の取得、同居などに備えた段差解消などのための住宅改修、介護認定後にケアマネージャの選定・介護計画の策定などを行い、介護者が介護環境を整備する期間であると説明していた。介護保険制度によって介護と勤務が両立することを支援する仕組みであることを初めて認識した。介護作業に必要な資金も具体的には被介護者が支出すべきであり、その準備が整っているか具体的に確認すべきである。

同書に、要介護者認定数(厚生労働省介護保険事業状況報告」)および要支援・要介護者/被保険者比率(「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳に基づく)が記載されていた。男女年齢別の介護認定者割合からは、80歳以上の要介護者の増加また90歳以上の女性の要介護者多さが顕著であることが示されている。すなわち80歳以上になると女の方が若干の障害を負いながら長く生きていくということかもしれない。80才から徐々に介護度が進行した母親の例は特別なものではことが理解できた。

年齢幅/要支援・要介護者/被保険者比率% 男(女)
年齢幅/比率% 男(女)
65-69/03.6 (03.4)
70-74/07.2 (06.4)
75-79/12.7 (14.7)
80-84/27.6 (30.1)
85-89/43.7 (52.4)
90-    /54.7 (72.5)

出典:厚生労働省介護保険事業状況報告」要介護者認定数および「国民生活基礎調査」要介護レベル別年齢階級別内訳

ちなみに近所に暮らす92歳の高齢者は娘さんと二人暮しだ。昼間仕事に出ている娘さんは、父親に介護認定を受けるように勧めも拒否しているそうだ。時々姿をもかけるが、腰が曲がってしまっているものの一人でゆっくりした足取りで歩いている。同年齢の半数弱の人が介護認定を受けずに暮らしているので、そのまま元気に暮してほしいものだ。一方万一介護が必要になった時には介助責任者は介護休暇で対応することになるが、十分な情報の提供など受ける側を含め理解が重要だと感じた。

母親の今までの生活_70歳以降の衰え

母親は、父親が亡くなった74歳から96歳までの22年間一人で暮らしたことになる。仕事がら、海外勤務・海外出張も多かったが、国内では同居、また最後に近隣の介護施設に入っていた略5年半の期間もしばしば施設を訪れ、帰ってこられる家の管理を行っていたからであろう。また両親の老後を考慮した自宅の新築に当たっては、老後を両親の問題としてとらえこちらは主に支援する立場を取ったため、母親に面と向かうことがなかったことかもしれない。一方新築の自宅完成後1年未満で父親が亡くなった。自宅を新築した後の母親の健康状況を以下に確認した。

母親は自営業で生計をたてていたが、50歳以降山登りなどに精を出し自他共に健康を楽しんでいた。しかしさすがに80歳近くになると急激に体に変調をきたしていくことがよく理解できる。最初に寝込んだのは、79歳の時下顎を骨折した時だった。玄関のチャイムが鳴って急いで出る時に躓き、手が出ずに顎を打ったそうだ。年相応にチャイムに落ち着いて対応していいんだという考え方にシフトしてなかったような気がする。チャイム自体が自宅新築時の73歳で初めて設置したもので運用に慣れていなかった可能性もある。

 

1994(H06)/11:73才:自宅新築・高齢化対応(長男と同居)
1995(H07)/01:73才:(神戸震災)
1995(H07)/10:74才:夫死亡
1998(H10)/07:77才:富士登山
2000(H12)/03:79才:海外個人旅行・9月にも有
2000(H12)/11:79才:下あご躓き骨折
2001(H13)/06:80才:右目白内障手術
2001(H13)/11:80才:自宅単身生活開始(長男:国外出張)
2002(H14)/01:80才:脊髄圧迫骨折、介護保険認定/要支援・利用開始
2002(H14)/03:81才:デイサービス利用開始
2003(H15)/02:82才:介護保険認定/要介護1
2003(H15)/03:82才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2003(H15)/08:82才:左目白内障手術
2005(H17)/11:84才:自宅単身生活再開(長男:国外出張)
2007(H19)/03:86才:自宅単身生活終了(長男と同居再開)
2007(H19)/08:86才:肺炎入院
2007(H19)/10:86才:介護保険認定/要介護3 老健利用リハビリ生活開始(6か月)
2008(H20)/04:87才:介護保険認定/要介護2 自宅トイレ改修・介護ベッド動線上に引き戸設置
2008(H20)/05:87才:自宅介護生活開始/車椅子利用(4年)、デイサービス利用再開、在宅生活支援サービス利用開始、介護ベッドなど借用開始
2009(H21)/11:88才:右目白内障再手術
2011(H23)/03:90才:(東北震災)
2012(H24)/04:91才:肺炎入院 介護保険認定/要介護3
2012(H24)/05:91才:ショートステイ利用介護生活開始(4か月)
2012(H24)/09:91才:老健利用介護生活開始(1年)
2013(H25)/09:92才:特養利用介護生活開始(4年)
2015(H27)/04:94才:介護保険認定/要介護4
2017(H27)/04:96才:介護保険認定/要介護5
2017(H29)/05:96才:死亡

 

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 ところで、81歳で要支援・82歳から要介護1となり95歳で要介護5で亡くなったことを、一般的に平均健康寿命(男性71.19歳、女性74.21歳)・平均寿命(男性80.98歳、女性87.14歳)から計算できる女性の平均介護対象期間:12.93年を参考にすれば、健康だった期間は長いが、被介護期間15年と苦労した期間も多い。

一方、特養利用の介護生活4年は、厚生労働省資料の介護老人福祉施設の入所者の平均在所期間約4年と同じである。これは介護期間の多くを自宅で過ごせ幸せだったと考えるべきかもしれない。

 

自宅の整理

母親が残していったものが、家には数多く残されている。

両親の老後生活に向けて1994年12月、母親73歳・父親76歳の時に自宅を新築した。当時父親は脳溢血後の若干不自由な体に加え、前年にはアキレス腱も切断・トイレに行くことにも不自由を感じていた。断熱性能・バリヤーフリー化などに配慮した設計しと、父親の行動も若干拡大することを期待していた。しかし残念ながら新築の家に1年も暮らすことのない翌1995年10月に父親は旅先で心筋梗塞で急死、77歳であった。ちなみに当時の平均寿命は男76歳・女82歳、健康寿命は男69歳・女70歳、父親死亡時年齢での男の平均余命は9.8年である。既に数年前の脳梗塞で若干身体が不自由であった父親にとっては自分では気づかなかったかもしれないが引っ越しは負担が多かったかもしれない。平均寿命・健康寿命は越えているものも平均余命もまだある年齢で、葬式には父親・母親の友人が多く参会し、ともに偲んでいたような気がする。

一方母親はその後元気に暮らしていたが、80歳ごろから圧迫骨折を繰り返し、86歳になると自宅での車椅子生活、91歳からは施設での療養生活を余儀なくされ96歳で亡くなった。死亡時年齢での女の平均余命は5年である。僅かに残っていた友人・同世代の身内も色々な意味で身体的な障害を有し、葬式に参会できる状況ではなかった。母親が健康寿命を越えた73歳から80歳ごろまで自宅で元気に暮らせた、またその後の自宅での車椅子生活を支えたのも新築した自宅の貢献は大きかったと感じられる。

自宅新築時の期間中、近くの解体予定の古家を借りることができた。旧家屋の解体前に、荷物を適宜リヤカーで借りた古家に、また新築後には借りた古家から適宜荷物を持ち込んだ。また別に近所の家の納戸を借用、また別の家の庭に植木を一時仮置きなどの柔軟な対応を行った。そのため時間的には余裕のある引っ越し作業ができた。

引っ越し時も含め自宅の物品は活用できたものの、十分な整理はできなかった。父親の亡くなった時の遺品・遺産は、原則新築の家に暮らす母親が引継ぎ整理するという考え方であった。今回母親が亡くなって改めて兄妹が整理することになった。遺品・遺産の概要は理解していたが、実際に目にしてみると、自分たちの物品の整理を含め気を引き締めてかかる必要があると感じた。

自宅新築時の基本的な考え方は、今後ますます進む両親の老齢化・また利用状況の変動などを前提とし、完成体ではなく状況に応じて適宜手を加えていこうとするものであった。そのため2階の部屋の一部を壁内装、床張りなど未実施で暫定作業部屋として活用することにした。またカーテンなども古いカーテンの活用、適宜購入などを考えていた。このため新築時での物品の整理が遅れた部分も多い。

母親の死

介護施設で暮らしていた母親が、2017年5月中旬・96歳で亡くなった。

2015年の夏を迎える前に、母の体の衰弱が顕著となった。その為、施設対応の医師在席のもと、介護施設の各担当者と、もしもの場合には施設での看取りを希望するかそれとも病院での延命処置を行うかを検討した。

母親は今まで十分努力して生きてきたということを家族が納得しているという前提で、施設での看取りを希望する旨既に関係者で確認してあった。話題の中で機会を見て自宅に帰るなら支援できる旨、施設から提案を受けた。その後暑くなる夏に向けて受け入れ準備も想定できないままだったが、夏を過ごし母親の体調もそれなりに安定している状態が続いた。冬も終わり暖かくなった2016年の5月連休明けの土曜日に、検討していた自宅で軽い昼食と休息をとることが出来た。

施設に入居した当時から、母の気分転換を兼ね、しばしば車いすで外出・散歩をしていた。30分から一時間の散歩コースだった。

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母も楽しみにしていた散歩だが、亡くなった年の正月明けからは、寒い日・風がある日などが重なって、散歩ができないことも多くなった。骨粗鬆症の痛みの続く状況では、介護ベッドと車椅子との移動頻度をできるだけ少なくするように、車椅子に乗った食事の前後に散歩を設定していた。散歩ができないということで、限られた訪問した時間では、弁当などを用意し夕食を中心に個室で一緒に取ることにした。

2017年も真夏の暑さが訪れる前に機会を見て自宅に迎い入れたいと考えていた。一方衰弱も続き、5月の最後の夕食となった日は、かなり衰弱している様子だった。

介護ベッドから車椅子への移動は、通常家族が自力で本人を引き上げて行っていた。しかし当日は身体がぐったりしており慣れている介護士に依頼した。車椅子に立ち上がった時、口から長い痰が流れ出る様子を確認し介護士に指摘した。自室で一緒に食べさせた後休憩しその後の対応を介護士に依頼し帰宅した。翌日は熱があり施設側で病院に連れていき、肺炎(誤嚥性ではない)を確認し、点滴したそうだ。その後引き続き施設での肺炎対応の点滴を4日間続けて行い、点滴を外したのち2日後に亡くなった。

施設での看取りについては十分納得できていたが、最後にもう一度自宅に落ち着いて過ごさせてあげたいという思いもあった。施設から自宅に戻し、葬儀・火葬・納骨などが続いた。その後の自宅の片付けなどを含めこの場で確認していきたいと思っている。

高等教育の検討

高等教育を無償化するという話題がある。現在の高等教育の位置づけを考察する。高等学校までの教育達成目標については、高等教育への橋渡しとして受験教育の影響が大きい。一方高等教育の達成目標・期待できる効果については、一般教育と職業教育とが混在している状況である。職業教育に関しては以下のような、意見がある

【高等教育で、ある意味職業教育として位置づけられているのは医学のみである/教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書) 本田 由紀】。

旧来、日本では職業教育としては徒弟制度に裏打ちされた作業を通しての教育(OJT)が主に行われてきた。特定の職業教育に内在する試行錯誤の成果は徒弟制度で維持されてきたが、汎用性のあると信じられている科学に裏付けられた試行錯誤の実行には一般教育で培われた知識こそ有効である。

文科省の[大学における工学系教育の在り方に関する検討委員会]」の議事録には

大学における工学系教育の在り方に関する検討委員会(第4回) 配付資料:文部科学省

5.人材育成を担うべき人物像
工学教育改革を進める上で重要なことの一つとして、大学教員の意識改革が挙げられ
る。産業界の中堅研究者・技術者へのヒアリングを行った際も、大学の講義や実験が社会とどのように繋がっているのかイメージが湧かず、就職してから大学で学んだことの重要性に気付いたという意見が多く聞かれるなど、大学教育の教え方について、これまでのような教員が教えられる・教えたい教育中心ではなく、学生が主体的に学べる環境を確立し、大学卒業後の出口を見据えた教育システムに転換する必要がある。
また、大学と産業界のマネジメントを理解すること、他分野への関心と協調性を持つことや教育研究資金を集めることができるような発想力等も大学教員には重要である。
 
と記されている。高等教育の知識を学生に授ける機能をMOOCによる自己学習に移行させ、寄り集う場所を活用して自己設定した課題を解決する手法自体を学ぶことが教育の位置付けとすることによって、学生の支払う高等教育費用を、自己設定課題の設定と解決への力量を訓練投資に振り向けることが期待される。
 
一方職業に就いてのちについてはOECD報告:成人力調査を見ると、日本の生涯学習への参加率は低く、成人の学ぶ意欲は、調査参加国中で最下位に近いことが示されている。そうした学習率の低さに繋がっている要因の中には、日本の成人の時間的および経済的な制限、教育内容が労働市場との関連性に欠ける点や、関心または動機の欠如が指摘されている。日本での生涯学習率を高めるためには、学習が労働市場のニーズに沿ったものであること、失業者または積極的に労働市場に関わっていない者の就職支援につながること、そして仕事をしていて学ぶ時間が限られている労働者が参加できるようにすることが求められる。
MOOCなどを含めた自己学習・図書、さらに対面学習を通して、自己設定課題の明確化と解決への模索・試行錯誤が、労働の現場と交差することが学習者の興味を育てることになる。
人間が関わるさまざまな環境を時代と呼ぶ。時代は変化しつづけるものだが、その加速度は大きくなっている。個人が時代の流れに取り残されない・流れに棹さして生きていくためには生涯学習は不可欠である。時代が総体として変動していくときには、ある意味探している「青い鳥」を鳥の色・性質が変わってしまう。「青い鳥」を求めて放浪する場合にも学習・自己のものを感じる能力を磨き続けないとさらに疎外されてしまう危険性がある。常に身近の課題を見出し解決していく能力、その能力を支えるスキルを獲得するこそが生涯学習として求められている。
 

周辺の人を眺めて

 高年齢者が年少者を見るとき、年少者を以前からよく知っている場合と知らない場合とで、前者は実態より未成熟に、後者は実態より成熟して想定してしまう。前者では高齢者(実態A)は自分の時間経過で以前の年少者(実態B)の成熟を推定する、後者は同様に自分の時間経過で自分の成熟度から巻き戻すためである。前者の例は親が子供を見るときであり、後者の例は自分の周辺に年少者が現れる場合であろう。

逆に年少者が高齢者を見るときには、初めに想像する場合には自分の時間経過で相手を判断するため若い時ほど年長者はより成熟していると感じるはずだ。学校などで上級生ははるかに大人びて感じたことはあると思える。

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いま高齢者になって、かつての同年代の人の気持ちを想像する場合がある。これは時間経過が同じ時点での成熟度(もちろん通過した環境は異なっているが)に依存する部分であり異なった議論である。

以下は追加事項

ジャネの法則19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案した、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したものである。時間の長さとは、追加される新たな記憶という意味であろう。すべて忘れては生活できないが、

改めて縦軸の成熟度が気になってきた。成熟度:環境に対して自己を適応させていくこと。環境と自己意識のギャブが少なくなっていく過程。
環境が変わっていくとき、個人個人の成熟度は個人ベースで異なる場合もある。例えばタイムマシンで現代に現れた昔の人の成熟度は